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廣閑院|港区南青山にある浄土宗寺院

廣閑院の概要

浄土宗寺院の廣閑院は、港区南青山にある浄土宗寺院です。廣閑院は、定譽廣閑上人が深川靈巌寺寺中に寛永6年(1629)開創、八庵の一つだったといいます。妙運尼が明治35年当地へ移転して中興、一寺としたといいます。

廣閑院
廣閑院の概要
山号 -
院号 廣閑院
寺号 -
住所 港区南青山4-17-27
宗派 浄土宗
葬儀・墓地 -
備考 -



廣閑院の縁起

廣閑院は、定譽廣閑上人が深川靈巌寺寺中に寛永6年(1629)開創、八庵の一つだったといいます。妙運尼が明治35年当地へ移転して中興、一寺としたといいます。

「赤坂區史」による廣閑院の縁起

浄土宗廣閑院(道本山靈巌寺末)青山南町五丁目八十四番地
當寺は、もと深川靈巌寺寺中にして、寛永六年の開創にかゝり、開基は定譽廣閑上人である。幕末の頃は元八庵と呼ばれた一の小庵に過ぎなかつたが、明治以後一寺を交稱するに至つた。けれども檀家漸く十戸を算ふるに過ぎず、香煙日に疎く、隣刹安民寺に於て之を兼務した有様であつたのを、中興開山妙運尼がその寺號を譲受け、明治三十五年、現在の地に、水田を埋填して寺観を營んだのである。
妙運尼は、俗名今泉歌子、安政元年日本橋横山町坂庄兵衛の三女として生れ、京橋の船具上今泉總兵衛に嫁したが、明治十四年十一月、總兵衛病歿の後、養母を扶けて、家政を挽回した。情操堅固の女丈夫として、當時稱讃の的となつた婦人であつた。歌子既に此世の務を終り菩提の道を欣求するの志切なる折柄、當時小松宮家に宮仕へした植草智雲(俗名道子、安政三年生)と語らひ、共に出家得度せむとて明治二十七年一月麻布笄町繁成寺に於て落飾、小石川表町浄土宗學尼衆教場に通學すること四年間、同三十年卒業の後、傳通院に於て共に三昧相承を了し、それより満千日の間全國の靈場を巡拝し、満願の後現在の地に一宇を建立して、明治三十五年六月十五日入佛式を執行したのである。(「赤坂區史」より)


廣閑院の周辺図


参考資料
  • 「赤坂區史」


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