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寂照山高徳寺|港区北青山にある浄土宗寺院

寂照山高徳寺の概要

浄土宗寺院の高徳寺は、寂照山唯心院と号します。高徳寺は、晃誉上人居的和尚(元和9年1623年寂)が開山となり、天正7年(1579)に創建したといいます。

高徳寺
高徳寺の概要
山号 寂照山
院号 唯心院
寺号 高徳寺
本尊 阿弥陀如来像
住所 港区北青山2-10-26
宗派 浄土宗
葬儀・墓地 -
備考 -



寂照山高徳寺の縁起

高徳寺は、甲賀組の望月助之進外七名が開基、晃誉上人居的和尚(元和9年1623年寂)が開山となり、天正7年(1579)に創建したといいます。

「渋谷区史」による寂照山高徳寺の縁起

高徳寺(熊野横町)
浄土宗、寂照山唯心院高徳寺という、青山熊野横町にあつた。京都知恩院末、天正七年の起立。開山は晃誉上人(元和九年八月廿三日寂)と伝えている。本尊は阿彌陀如来。伝恵心僧都の作。山之手六阿彌陀の第三番である、境内三千余坪。満願稲荷社、寿延観音堂、子安観音堂、鐘楼(梵鐘の銘宝永元年)があつた。(「渋谷区史」より)

御府内寺社備考による寂照山高徳寺の縁起

京都知恩院末 青山熊野横町
寂照山唯心院高徳寺、境内除地七十五坪二合五勺年貢地二千八百五十坪
起立天正七卯年御座候由申傳候。
開山晃誉上人居的和尚元和九年八月廿三日示寂。
本堂、間口七間奥行同
本尊阿弥陀、木立像長三尺壱寸恵心僧都作山ノ手六阿弥陀第三番
脇立観音勢至、長各八寸。
善導円光両大師像。
大鐘。高四尺程。鐘楼九尺四方。(御府内寺社備考より)

東京名所図会による寂照山高徳寺の縁起

高徳寺
高徳寺は。青山北町四丁目四十六番地に在り。即ち御熊野横丁の北畔にして。道路より少しく奥の方に黒門あり。本堂は瓦葺にて。其の屋棟に金色の葵章を附したり。本尊は阿弥陀如来。行基菩薩の作。左右は観音勢至。山の手六あみた第三番の札所なり。
嘉永二年十一月幕府寺社奉行に録上せしものに。左の如く見ゆ。
浄土宗
京都知恩院末寂光山唯心院
高徳寺。
一拙寺境内御留守居支配明屋敷番伊賀者給地古跡添地七十五坪。古跡年貢地二千八百五十坪有之。添地年貢地地境相分り兼。一圓武州豊島郡原宿村に御座候。寺號其外相替候儀無御座候。
一起立。天正七年也月日相知不申候。
是にて創建の大略を知るべし。開山は晃譽無的上人にして。開基は甲賀組の望月助之進外七名なりといふ。今の本堂は間口七間奥行九間。享保十四年三月第五世忍譽存道上人の再建に係る現時の住職は矢田圓随師なり。
當寺には。過去帳十四冊を蔵し。慶長五子年八月朔日。上野重蔵を首とし。本年に至るまでの埋葬者を詳記しあり。過去帳のかく完全に保存しあるは。殊勝のことといふべし。
西洋人執筆の墓碑。東京南新堀萬屋庄兵衛次男掌次郎(明治三年三月二日)の碑にして。碑面の上部には欧文。下部には片假名を以て其の履歴を記し。正面に題して西譽洋學信士とあり。文末には横濱在留亜國四番加比丹レーム誌と刻したるは。いとめづらし。
日行大我の碑。左右石柱に猿を刻し。碑面に蓮峰行仙信士天明八甲子年十二月廿三日とありて。明らかに富士行者たることを表明せり。
井出龍僊の碑。(碑文省略)
河内山宗春の墓。本堂の西の方五間許の所に在り。高さ一尺五寸程の小墓なり。其の傍に「河内山宗春の墓」としるし標榜あり。僅かに探準を寫せり。表面には
求め道浄欣信士
光岳院法楯童子
とありて。
左の横に河内山宗春と刻しあり。又右の横には
求文政六癸未年六月二十二日河内山氏
光安永十辛丑年四月十六日
と鐫せり。當寺の過去帳を検するに。浄欣信士七月廿二日牢死河内山宗春と記し。浄欣の上に求道の二字を加筆あり。聞く宗春は牢死たる者なれば。夜中竊に葬り。寺僧も憚りて僅かに欣浄信士と諡號せしが。後ち建墓の際求道の二字を追加せしものならむと。法楯童子は宗春の子のよし。但安永十年即ち天明元年にて文政六年より四十三年前なり。(東京名所図会より)


寂照山高徳寺の周辺図




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