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金刀比羅宮|港区虎ノ門の神社

金刀比羅宮の概要

金刀比羅宮は、港区虎ノ門にある神社です。金刀比羅宮は、讃岐丸亀藩主の京極高和が自領・讃岐の金刀比羅大神を、万治3年(1660)に三田の江戸藩邸に邸内社として勧請、その後延宝7年(1679)に当地虎ノ門へ遷座したといいます。

金刀比羅宮
金刀比羅宮の概要
社号 金刀比羅宮
祭神 大物主神 崇徳天皇
相殿 -
境内社 喜代住稲荷神社、産日社
祭日 大祭10月9日・10日、初こんぴら1月10日、縁日毎月10日
住所 港区虎ノ門1-2-7
備考 旧府社



金刀比羅宮の由緒

金刀比羅宮は、讃岐丸亀藩主の京極高和が自領・讃岐の金刀比羅大神を、万治3年(1660)に三田の江戸藩邸に邸内社として勧請、その後延宝7年(1679)に当地虎ノ門へ遷座したといいます。

境内掲示による金刀比羅宮の由緒

讃岐丸亀藩主の京極高和が領地・讃岐の金刀比羅大神を、万治3年(1660)に三田の江戸藩邸に邸内社として勧請、その後延宝7年(1679)に現在の地虎ノ門に移る。
こんぴら人気が高まった文化年間に京極家では毎月10日に限り一般の参詣を許し、大変賑わったといわれる。
社殿は権現造りで、第二次世界大戦により焼失したが、拝殿、幣殿の部分は昭和26年(1951)に再建された。ともに総尾州檜造り、銅板葺きである。日本最初の建築史家伊東忠太の設計校閲による建物で、我が国古来の建築技法が随所に用いられている。
なお、幣殿の奥の本殿は、昭和58年(1983)に復興されたもので、鉄筋コンクリート造、銅板葺きとなっている。(金刀比羅宮境内掲示より)

「芝區誌」による金刀比羅宮の由緒

金刀比羅宮 琴平町
祭神 大物主神、崇徳天皇。
萬冶三年、讃岐丸亀城主京極高知が其領内にある讃岐國金刀比羅大神の御分霊を奉請して芝三田の藩邸に勧請し、延宝七年藩邸が現在社地に移轉すると共に遷座した。文化の末金毘羅大権現として創建し、毎月十日特に邸門を開いて、一般人民の参拝を許してゐたが、明治二年金刀比羅宮と改稱し、明治六年三月府社に列した。虎の門外にあつたので俗に虎の門金毘羅とも稱した。祭日は十月十日で、毎月一、十、二十日を縁日とし、別に氏子はないが、賽者の多い事では水天宮と並び稱せられ、今尚ほ非常な賑ひを呈する。震災にもこの一角だけは焼けずに残ったので、神靈の加護のあらたかなのに人々は驚いた。例年一月一日開運札を授ける。
境内に武主毘神社及び喜代住稲荷社の二末社がある。武主毘神社の狐格子は、格子目もふさがってしまふほど夥しき折紙が結んである。これは縁結びのまじなひである。「新撰東京名所圖會」には「拝殿左の階下、中門内額堂の傍に黒髪を切りて、一竿に結びさげたる幾筋の主や誰ならむ。武主毘の神の、うら優美き御心にたぐへまつらむか、一片凄愴、只管に、神の靈験いやちこなるを悟らむ」と書いてある。
昔から酒飲みが禁酒する時、金刀比羅神社に酒を奉つて、斷然禁酒を誓ふ風習があつたが、昭和の今日もそれは相變らず行はれてゐる。境内の茶見世二戸は何時でも「御酒酒」と書いたペーパァを貼った硝子の一合瓶を三寶に載せて賈つてゐる。禁酒する者は切り火をかけた其徳利を買って神前へ奉納する。硝子越しに酒の山吹色を見てふらふらになり、折角思ひ立った禁酒を思ひ留つて、斷然飲む事に改心する者も偶にはあるとか。
又禁酒を誓って酒を奉納する時に、禁酒の繪馬には酒樽に朱塗りの杯を伏せた畫をかき、禁酒の気持ちを現はしてゐる。禁酒するのにはなかなか手數が掛かるものと見える。
市内には、種々の神社佛閣があるが、禁酒の誓ひをするのは虎の門の金刀比羅神社だけで、硝子瓶入りの酒を賈つてゐるのも他の社寺では見られない特色だ。(「芝區誌」より)

東京都神社名鑑による金刀比羅宮の由緒

万治三年(一六六〇)丸亀藩主京極高知、その領内の讃岐金刀比羅大神を芝三田の江戸薄邸内に勧請したことにはじまる。延宝七年(一六七九)藩邸の虎ノ門移転に伴ない現在地に遷座した。金毘羅大権現と称し、毎月十日市民の要請に応え、邸内を開き群参を許したという。明治二年四月事比羅神社、同二十二年九月金刀比羅宮と改称、現在に至る。関東大震災の難はまぬかれたが、昭和二十年五月の米軍東京大空襲により、社宝類を含めて一宇を残さずに焼失した。(東京都神社名鑑より)


金刀比羅宮所蔵の文化財

  • 虎ノ門金刀比羅宮(東京都選定歴史的建造物)
  • 鳥居 (港区指定有形文化財)
  • 百度石(港区文化財目録登録)

金刀比羅宮の周辺図

参考資料
  • 東京都神社名鑑
  • 「芝區誌」