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高輪神社|港区高輪の神社

高輪神社の概要

高輪神社は、港区高輪にある神社です。高輪神社の創建年代は不詳ながら明応年間(1492-1501)の創建と伝えられ、高輪一円の総鎮守社であるといい、鵜来森(高輪三丁目付近)鎮座の八幡社を明治10年合祀したといいます。

高輪神社
高輪神社の概要
社号 高輪神社
祭神 宇賀御魂命、誉田別命
相殿 -
境内社 高輪太子宮
住所 港区高輪2-14-18
備考 -



高輪神社の由緒

高輪神社の創建年代は不詳ながら明応年間(1492-1501)の創建と伝えられ、高輪一円の総鎮守社であるといい、鵜来森(高輪三丁目付近)鎮座の八幡社を明治10年合祀、廃寺となった旭曜山常照寺の太子堂を当地で祀っているといいます。

東京都神社名鑑による高輪神社の由緒

創立年月不詳であるが、伝えによると、明応年中(一四九二-一五〇一)の創建にて、高輪一円の総鎮守である。弘化二年(一八四五)正月二十四日の大火に焼失し、石門・鳥居等を残し、社殿・社宝・古文書等ことごとく失い、約二十年後、土蔵造の本殿を再建し、明治十五年には幣・拝殿を建立した。相殿誉田別命は鵜来森(高輪三丁目付近)に鎮座の八幡社を明治十年合祀された。(東京都神社名鑑より)

「芝區誌」による高輪神社の由緒

高輪神社 高輪北町
祭神 宇迦御魂命、譽田別命。
創立年月は不詳であるが、社傳によれば明應年間とある。古来高輪原と稱した土地一体の惣鎮守であるが、弘化二年正月の大火に類焼、現存の社殿は明治十五年の改築。明治五年十一月五日村社に列し、十年鵜来森(現在の下高輪町)に鎮座してゐた俗稱鵜来森八幡(譽田別命)を合併し、昭和四年九月十三日舊名稲荷神社を高輪神社に改稱した。
當神社正面石門の彫刻は江戸時代の名工熊山及び紅葉川住石田屋知兩人の彫する所で有名である。境内には末社耳聴神社(舊太子堂)、猿田彦神社(舊庚申堂)がある。庚申堂の本尊は青面金剛の木像で、「江戸鹿子」には攝津四天王寺の僧民部卿僧都豪範の作と傳へてゐる。これは市電の停留場「庚申堂前」の名で高輪稲荷や太子堂よりもよく知られてゐる。太子堂は明暦年間松平越後守光長の臣川木八兵衛が事情あつて安置したものだと「江戸鹿子」に載せてある。聖徳太子像は木像で、太子が十六歳の時自ら作られたと同書にあるが、如何なものであらうか。太子様は職人の間に信仰が篤い。これらは依然、旭曜山常照寺といふ寺の境内にあつたが、常照寺は何時しか廢寺となり、二像のみが残つてゐる始末である。
氏子區域 高輪北町、二本榎二丁目、同本町、同西町、高輪臺町の六箇町。(「芝區誌」より)


高輪神社所蔵の文化財

  • 力石(港区登録文化財)

高輪神社の力石

社殿前の左右に一個ずつ置かれた力石です。力石は、腕力や体力を鍛えるために重い石を持ち上げて「宝競べ」、あるいは「曲持ち」を行った際に使用した石で、江戸時代には、神社の祭礼などに奉納のため盛んに行われました。
ひとつは「奉納」「五拾八貫目」「芝伊皿子町 仁右衛門」「麻布□□町 喜三郎」お文字が刻まれた長径八〇センチメートル、短径四十六センチメートル、厚さ二十八センチメートルの安山岩製で、区内にある重量が刻まれた力石の中では最も重いものです。
他のひとつは前者とほぼ同じ大きさですが、上部が一部剥落しています。「□拾貫目」「芝入横町 石右衛門」「芝田丁 岩右エ門」の文字が刻まれています。(港区教育委員会掲示より)


高輪神社の周辺図

参考資料
  • 東京都神社名鑑
  • 「芝區誌」



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