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丸山神社|港区高輪の神社

丸山神社の概要

丸山神社は、曹洞宗医王山廣岳院開基の全梁禅師が、芝西久保丸山竜土にあった廣岳院境内に創建しました。承応2年(1653)に廣岳院とともに当地へ移転し、現在に到ります。

丸山神社
丸山神社の概要
社号 丸山神社
祭神 天照皇大神、宇迦之御魂命、誉田別尊、白山吡咩命、天児屋根命、秋葉大神
相殿 -
境内社 通力稲荷神社
住所 港区高輪1-21-10
備考 -



丸山神社の由緒

丸山神社は、曹洞宗医王山廣岳院開基の全梁禅師が、芝西久保丸山竜土にあった廣岳院境内に創建しました。承応2年(1653)に廣岳院とともに当地へ移転し、現在に到ります。

境内掲示による丸山神社の由緒

丸山神社創祀以来の言い伝えによると神社創建の遠因は治承3年(1179)に遡ることになりますが現存している唯一の記録によれば丸山神社は文禄3年(1594)芝西久保丸山竜土(現在の港区愛宕山近辺)という地に在った。曹洞宗常陸国永厳寺の末寺である医王山廣岳院の境内に、廣岳院の開基全梁が、徳川家康の命を受けて創始した丸山神社であります。
その後、江戸幕府の城下整備計画により丸山神社、廣岳院は、承応2年(1653)に芝二本榎(江戸時代の俗称地名、昭和42年の町名変更まで二本榎の町名が続く。現在の高輪一丁目)に換地9405坪が与えられ丸山竜土より移転、以来二本榎丸山神社と称し、近隣の人々の氏神として崇敬されてまいりました。
丸山神社は丸山竜土時代に2度、現在地に移ってから弘化2年(1845)の青山の大火、大正12年(1923)の関東大震災など4度の災害に遭っておりますが不思議にも六柱の祭神、神体立像は、焼失破損を免れ今も丸山神社のご神体として崇められております。又境内にある通力稲荷神社は京都伏見稲荷のご祭神、宇迦之御魂命を勧請してお祀りしてあるもので、弘化2年青山の大火のあと神社再建の節、特に商売繁盛の神を祀る社として別殿とされたものであります。
再建された建物は関東大震災によって大破しましたが、氏子の協力のもと早速再建にとりかかり昭和3年現在の社殿その他の建物が完成しました。(丸山神社境内掲示より)

東京都神社名鑑による丸山神社の由緒

当神社は文禄三年(一九五四)芝区西久保丸山竜波と称する地に、常陸永厳院に属する廣岳院が建立されたとき、境内に創祀され丸山神社と称した。元和年中(一六一五-二三)徳川幕府の命により芝二本榎に換地、九千四百五坪五合を拝領し、承応二年(一六五三)廣岳院とともに北地に奉遷した。爾来二本榎丸山神社と称し、門前の居住民をもって氏子とした。弘化二年(一八四五)正月青山大火のさい火災にあったが、御神体のみ難をまぬかれ、同年六月現在の地に再建した。爾来防火の神として氏子の尊信篤く、明治初年神仏分離令により町内氏神として崇敬された。大正十二年大震災のさい大破したが、翌年修築に着手し、昭和三年に至り神殿ことごとく竣工し、神域ためにいっそうの荘厳を加えた。(東京都神社名鑑より)

「芝區誌」による丸山神社の由緒

丸山神社 二本榎
祭神 天照皇大神、外六神。
本神社は附近にある禅寺廣岳院が承應二年西久保丸山の地から今の地に移轉した際一所に遷座して、故地を偲ぶ守護神として祀つたものである。明治十年同寺の門番所を取毀した時から、町内の守護神として現在に至る。(「芝區誌」より)


丸山神社の周辺図

参考資料
  • 東京都神社名鑑
  • 「芝區誌」



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