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十番稲荷神社|港区麻布十番の神社、港区七福神の宝船

十番稲荷神社の概要

十番稲荷神社は、港区麻布十番にある稲荷神社です。十番稲荷神社は、昭和25年の復興土地区画整理により旧坂下町鎮座の末広神社と、旧永坂町鎮座の竹長稲荷神社が当地へ遷座、その後両社が合併し十番稲荷神社と改称したといいます。末広神社は、慶長年間(1596-1615)の創建、竹長稲荷神社は弘仁13年(823)に武蔵国豊島郡竹千代丘に創建しタケチヨの名を憚りタケチョウと呼称したといいます。港区七福神の宝船です。

十番稲荷神社
十番稲荷神社の概要
社号 稲荷神社
祭神 倉稲魂命、日本武尊、市杵島姫命、湍津姫命、田心姫命
相殿 -
境内社 -
祭日 9月17日、11月酉の日
住所 港区麻布十番1-4-6
備考 -



十番稲荷神社の由緒

十番稲荷神社は、昭和25年の復興土地区画整理により旧坂下町鎮座の末広神社と、旧永坂町鎮座の竹長稲荷神社が当地へ遷座、その後両社が合併し十番稲荷神社と改称したといいます。末広神社は、慶長年間(1596-1615)の創建、竹長稲荷神社は弘仁13年(823)に武蔵国豊島郡竹千代丘に創建しタケチヨの名を憚りタケチョウと呼称したといいます。

東京都神社名鑑による十番稲荷神社の由緒

もと末広神社・竹長稲荷神社(旧坂下町鎮座・永坂町鎮座)。両神社は昭和二十年四月二十五日戦災を受け、諸建物ことごとく焼失したが、昭和二十五年六月復興土地区画整理により、両社境内地を現在地に換地を隣接指定され、その後、両神社を合併、社名を十番稲荷神社と改称した。(末広神社)慶長年間(一五九六-一六一五)の創建にして、元禄四年(一六九一)では坂下東方雑式に鎮座したが、同六年永井伊貿守道敏が寺社奉行のとき、坂下町四十一の社域に遷座した。往古より境内に多数の柳樹あり、世人「青柳稲荷」と称したが、のちその中の一樹の枝条繁茂して自ら扇をなすをもって、人みな「末広」の柳と呼び、後には社名に冠し末広稲荷と称した。明治二十年四月末広神社と改称。(竹長稲荷神社)弘仁十三年(八二三)慈覚大師八咫の神鏡をもって武蔵国豊島郡竹千代丘へ稲荷大神を勧請した(今の鳥居坂上)。その後、弘安二年(一二七九)鳥羽氏社殿を再建した。寛永元年(一六三四)三月永坂町に遷座した。(東京都神社名鑑より)

「麻布區史」による十番稲荷神社(末広神社)の由緒

末廣神社(村社)坂下町四一
祭神思姫命・市杵島姫命・湍津姫命・倉稲魂命・日本武皇子命・大祭九月十七日・十八日。
慶長年中の創建に係り往古は社前に柳の樹ありし爲め青柳稲荷の稱があつた。又その枝葉さかへ梢の繁茂しでゐるところより末廣の木と呼び、これが社號の起源となつたと云ふことである(再校江戸砂子)。
明治六年七月五日村社に指定され、明治二十年四月末廣稲荷神社の社號を現稱に改めた。社殿は権現造、氏子は坂下町と網代町に亘り七百戸を有してゐる。(「麻布區史より)

「麻布區史」による十番稲荷神社(竹長稲荷神社)の由緒

竹長稲荷神社(無格社)永坂町四三
祭神宇迦之魂命、大祭九月十四日・十五日。社傳に依ると弘仁十三年慈覚大師の八咫の神鏡を以て豊島郡竹千代ヶ丘に稲荷神を勧請する處と云ふ。元地は今の鳥居坂上で其の後弘安二年鳥羽氏が社殿を再建した。寛永元年三月現在の處に移り、跡地は戸田氏の拝領地となつたが、延寶六年四月十九日境内除地として神社で再び拝領した。
和銅五年の創建に係り往古は大社であつたと云ふ説もある。曾て薭田神社と云ひ、又別に竹千代稲荷と呼んだこともある。現稱の竹長は、三代将軍の幼名竹千代を避けて改めたものであると云ふ。『江戸砂子』は竹町稲荷と書かれてゐる。舊幕地代は龍王院(今廢寺となる)が別當であつた。寶物中、翁面と陰陽の鍵壹對は古くより神寶として珍重されてゐる。殊に鍵は正安三年正月より神靈と共に奉斎してゐると傳へる。
明治四十年九月三十日現社號を許可された。社殿は入母屋造、氏子は永坂町と新網町に二百八十四戸ある。(「麻布區史より)

東京名所図会による十番稲荷神社(末広神社)の由緒

末廣神社
末廣神社は當町(麻布坂下町)四十一番地に鎮座す。慶長年間創建の社なりと云ふ。屢回禄の災に罹りたるが故。現今の堂宇は近年新築のものと見ゆ。素木造りにて規模小なれども、清掃行届き境内清麗にして、神靈灼然なるが如し。鳥居の左傍に。一株の柳あり幹太けれども枝疎なり。昔社内の柳いと茂りて末廣ければ扇に擬えて末廣の木と唱へたるを。何時の世よりか之を神號と為せるものなりと。然れども。江戸惣鹿子神社類聚附録稲荷社の部に末廣稲荷麻布坂下神主中村日向守とあれば。末廣と呼為したるは延享以前の事なるべし。去れば現存せる樹は昔の柳の枯れたる趾に。植継ぎたるものなり。(東京名所図会より)

東京名所図会による十番稲荷神社(竹長稲荷神社)の由緒

竹長稲荷神社
竹長稲荷神社は。永阪町四十三番地に在り。山倉大神の分霊を配祀す。當社のことは。諸書記する所なし。續江戸砂子に長阪稲荷とあるもの是にや。
竹長は。タケナガと訓まずして。タケチャウと讀み来れり。之を土地の者に質するに。昔は竹千代といひしが。幕府世子の通名なればとて。之を避けて竹長と改めたり。因て之をタケチャウと唱へ。タケチヨに類似せしむと。果たして然るや否。
現今奉仕の祀官は。適々疾に臥し大患のよしにて。報告を得ず。遺憾といふべし。(東京名所図会より)


十番稲荷神社の周辺図




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