愛宕神社|港区愛宕にある神社
愛宕神社の概要
愛宕神社は、港区愛宕にある神社です。愛宕神社は、徳川家康公が江戸に幕府を開くにあたり江戸の防火・防災の守り神として将軍の命を受け創建しました。寛永11年(1634)には徳川家光の御前で、四国丸亀藩の曲垣平九郎盛澄が騎馬にて正面男坂(八十六段)を駆け上り、日本一の馬術の名人として名を馳せ、当社石段は「出世の石段」と呼ばれた他、桜田門外の変の際には水戸藩士の集合場所になったり、大政奉還後の江戸開城の際には勝海舟と西郷隆盛との会談場所になったりと、数多くの歴史の舞台となっています。
| 社号 | 愛宕神社 |
|---|---|
| 祭神 | 火産霊神、罔象女命、大山祇命、日本武尊 |
| 相殿 | - |
| 境内社 | 太郎坊社、福寿稲荷神社、弁財天社、大黒天神祠、恵比須神祠 |
| 祭日 | 大祭9月23日・24日 |
| 住所 | 港区愛宕1-5-3 |
| 備考 | - |
※丹塗の門画像はいけみずさんよりの寄贈
愛宕神社の由緒
愛宕神社は、徳川家康公が江戸に幕府を開くにあたり江戸の防火・防災の守り神として将軍の命を受け創建しました。寛永11年(1634)には徳川家光の御前で、四国丸亀藩の曲垣平九郎盛澄が騎馬にて正面男坂(八十六段)を駆け上り、日本一の馬術の名人として名を馳せ、当社石段は「出世の石段」と呼ばれた他、桜田門外の変の際には水戸藩士の集合場所になったり、大政奉還後の江戸開城の際には勝海舟と西郷隆盛との会談場所になったりと、数多くの歴史の舞台となっています。
境内掲示による愛宕神社の由緒
当社は徳川家康公が江戸に幕府を開くにあたり江戸の防火・防災の守り神として将軍の命を受け創建されました。幕府の崇敬篤くご社殿を始め仁王門、坂下総門等を寄進され、祭礼等でもその都度下附金の拝領を得ておりました。また徳川家康公のご持仏「勝軍地蔵菩薩」(行基作)も特別に祀られております。(非公開)
江戸大火災、関東大震災、東京大空襲の度に焼失しましたが現存のご社殿は昭和33年再建されました。寛永十一年三代将軍家光公の御前にて、四国丸亀藩の曲垣平九郎盛澄が騎馬にて正面男坂(八十六段)を駆け上り、お社に国家安寧の祈願をし、その後境内に咲き誇る源平の梅を手折り将軍に献上した事から日本一の馬術の名人として名を馳せ、「出世の石段」の名も全国に広まりました。万延元年には水戸の浪士がご神前にて祈念の後、桜田門へ出向き大老井伊直弼を討ちその目的を果たした世に言う「桜田門外の変」の集合場所でもありました。(ご社殿内に額縁寄贈)
海抜二十六メートルは都内随一の高さを誇り、桜と見晴らしの名所として江戸庶民に愛され数多くの浮世絵にもその姿を残しています。明治元年には勝海舟が西郷隆盛を誘い山上で江戸市中を見回しながら会談し、江戸城無血開城へと導きました。鉄道唱歌にもその名が残り春は桜、夏の蝉しぐれ、秋の紅葉、そして冬景色と四季折々の顔を持つ風光明媚な愛宕山として大変貴重な存在となっております。
ほおづき市・羽子板市は浅草の市の先駆け、発祥の地として江戸時代の書「東都歳時記」にもその賑わいは記され、現在は六月の千日詣り、羽子板絵馬にてその名残りをとどめています。(愛宕神社境内掲示より)
当地愛宕山について
愛宕山は洪積層の丘陵地で、標高は26メートルである。頂上に愛宕神社がまつられ、江戸時代から信仰と見晴らしの名所としてにぎわった所である。
愛宕神社の祭神は火の神(火産霊神)が中心で、江戸時代には幕府の保護もあり、多くの人々から火伏せの神として信仰されてきた。
今日のように周囲に高層ビルが立つまでは、山頂からの眺望がすばらしく、東京湾や房総半島までも望むことができた。
また、愛宕山には、男坂・女坂・新坂などの坂道があり、男坂は神社正面の急勾配の石段で、寛永年間に、曲垣平九郎がこの石段を馬で上下したと伝えられる。(港区教育委員会掲示より)
愛宕神社の周辺図
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愛宕神社鳥居と石段
愛宕神社丹塗の門
境内社太郎坊社、福寿稲荷神
境内社弁財天社
招き石
