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東光寺|目黒区八雲にある曹洞宗寺院

東光寺の概要

曹洞宗寺院の東光寺は、泰陽山霊徳院と号します。東光寺は、世田谷城主吉良冶部大輔冶家が、その嫡子祖朝の追福のために臨済宗東岡寺として貞治4年(1365)に創建したといいます。その後東光寺と改め、天文19年(1550)には寺領30石の御朱印状を拝領、後曹洞宗に宗旨を改めています。

東光寺
東光寺の概要
山号 泰陽山
院号 霊徳院
寺号 東光寺
宗派 曹洞宗
住所 目黒区八雲1-9-11
葬儀・墓地 -
備考 東光寺幼稚園併設



東光寺の縁起

東光寺は、世田谷城主吉良冶部大輔冶家が、その嫡子祖朝の追福のために臨済宗東岡寺として貞治4年(1365)に創建したといいます。その後東光寺と改め、天文19年(1550)には寺領30石の御朱印状を拝領、後曹洞宗に宗旨を改めています。

目黒区教育委員会掲示による東光寺の縁起

東光寺
貞治4年(1365)、当時の世田谷城主吉良冶家が、10歳で早世した子息の祖朝の菩提を弔うために建てたのが当寺です。吉良氏は中世にかけて世田谷・目黒地域に勢力を誇った一族で、吉良氏の庇護のもと、東光寺は世田谷の法華寺(現、円融寺)とともに栄えました。
創建当初は「東岡寺」と称し臨済宗でしたが、天正19年(1591)頃に現在と同じ「東光寺」と改め、さらに江戸時代の初めには曹洞宗へと変わりました。
墓地の中を西に上っていった先には、吉良氏一族の墓といわれる3基の石塔があり、その内2基は宝篋印塔です。3基はそれぞれ吉良祖朝・7代城主頼貞・8代城主氏朝の娘の3人の墓と伝えられています。また、境内には歴代住職の墓が並んでいて、寺の古い歴史を物語っています。
本堂の裏手には禅寺らしい落ち着いた雰囲気の庭園があり、本堂正面には雄株の大銀杏がそびえ立っています。(目黒区教育委員会掲示より)

新編武蔵風土記稿による東光寺の縁起

東光寺
境内2万2000坪余不入の地なり。小名東根にあり。泰陽山霊徳院と号す。禅家曹洞宗にて多摩郡青梅の海禅寺の末、寺領30石をたまふ。開基は吉良冶部大輔冶家なり。その嫡子祖朝貞治4年3月10日10歳にして世を早ふしければ、それが追福のために一寺を草創し、東岡寺といへり。相傳ふ昔此所に壽楽斎といひし草庵ありしを、冶家開きて一寺となせしと。按ずるに此説はおぼつかなし。天文20年の文書によるに壽楽斎と云は別にさす所あるなり。東岡寺を初め壽楽斎といひしと云は付会の説なるべし。開山の僧は詳ならず。昔は済家(臨済宗)なりしが、いつの頃よりか曹洞の派となれり。後また冶家が五代の孫左京亮成高が子頼貞を中興の開基とす。此人大永5年4月17日卒せり。当寺に墓あり。頼貞が弟頼康天文7年の春寺領を附せしよし旧記にのす。その文は末に出せり。天文19年に至り改めて寺領30石を賜へり。其時の御朱印に東光寺とありしかは、後岡の字を改て今の文字となせり。開山を太仏禅梁和尚と云。永禄9年12月14日寂す。此人は多摩郡下村の産にて武井氏なり。中興開山は当寺四代天桂禅師にて、是は文禄2年8月12日寂せりと。按に天桂禅師を中興とするはさもあるべきなれど、禅梁和尚を開山と云は時代おくれたるにあらずや。されど其事歴をくはしく傳へざれば、今よりいかにとも考へがたし。
表門。南の方に向へり。両柱の間1間半なり。
中門。南向両柱の間2間。
本堂。11間四面にて南向なり。本尊釈迦如来は木佛の坐像にて長2尺許。
衆寮。7間に5間本堂の西にあり。
鐘楼。門を入て右にあり。2間半四面なり。銘に享保20年と有。
白山社。表門を入て右にあり。社9尺四面前に鳥居をたてり。
吉良祖朝墓。本堂の西の方古松の下にあり。文字磨滅して読べからず。当寺に納る位牌によるに、表に東岡寺殿前武州太守源祖朝瑞雲祥大禅定門としるし、裏に東岡寺者霊應院之嫡子貞治四乙巳歳三月十日とあり。此人の墓は初め寺中の山の上にありしが、いつの頃にや爰にうつせしと云。
吉良頼貞墓。同所にあり。是も文字読べからず。されど頼貞が碑なりと云傳ふ。位牌は堂中にあり。その表に大徳寺殿前左京太夫源頼貞岳光性大禅門、裏に大永乙酉年四月十七日吉良成高嫡子七代孫源頼貞と記せり。
寺宝、吉良系図一巻。古文書六通(新編武蔵風土記稿より)


東光寺の周辺図


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