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成田山深川不動堂|江東区富岡にある真言宗智山派寺院

成田山深川不動堂の概要

真言宗智山派寺院の成田山深川不動堂は、成田山新勝寺の東京別院で、関東三十六不動の第20番霊場です。成田山深川不動堂は、元禄16年(1703)に永代寺で行われた成田山新勝寺本不動明王の出開帳に起源を持つといいます。並行して成田山新勝寺の江戸における出張所が日本橋坂本町に設けられており、明治維新による永代寺廃寺に伴い、この成田山新勝寺出張所が浅草御蔵前・深川吉祥院への移転を経て、明治2年に深川不動堂となったといいます。

成田山深川不動堂
成田山深川不動堂の概要
山号 -
院号 -
寺号 成田山東京別院深川不動堂
住所 江東区富岡1-17-13
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 関東三十六不動の第20番霊場


※龍神・不動尊画像、御朱印はいけみずさんよりの寄贈


成田山深川不動堂の縁起

成田山深川不動堂は、元禄16年(1703)に永代寺で行われた成田山新勝寺本不動明王の出開帳に起源を持つといいます。並行して成田山新勝寺の江戸における出張所が日本橋坂本町に設けられており、明治維新による永代寺廃寺に伴い、この成田山新勝寺出張所が浅草御蔵前・深川吉祥院への移転を経て、明治2年に深川不動堂となったといいます。

「江東区の民俗深川編」による成田山深川不動堂の縁起

深川不動堂
元禄年間に江戸町人に成田山の本尊不動明王を江戸で参拝したいという気運が高まり、元禄一六年(1703)に開帳が深川永代寺境内でおこなわれた。成田山出発の総勢は三〇〇人を超える行列が組まれ、江戸まで一週間ほどかけて本尊が運ばれ、二ヵ月あまり開帳された。明治に入り、永代寺は廃寺となり、境内は深川公園となる。明治二年(1869)、現在地に深川不動堂が認められ、明治一四年に本堂が完成する。大震災・空襲で二度にわたり本堂が焼失し、再建され、平成三年に本坊・客殿・奥殿を再建する(「成田山深川不動堂」)。
成田山不動堂は下総国成田山新勝寺の出張所で、はじめは出張所を日本橋坂本町に設けた。その創設年代は不明である。天保一二年(1841)に浅草御蔵前八幡神社(現:蔵前神社)内に移転。明治二年、深川吉祥院境内へ移転。明治一一年、旅宿を不動堂と改称する。明治一四年、成田山不動堂完成、大仏供養(「新撰東京名所図会」)。本堂が完成してから十数年後、明治三一年に日清戦争勝利を記念して大きな石造燈明台が燈明講の手により奉納され、その台石正面に当時の有名歌舞伎役者九世市川団十郎(屋号成田屋)の名前が彫られているように、深川不動尊は明治から多くの方々の信仰を集めていた。現在でも、参拝者は多く、縁日などに月参りする信者は約一〇万人、正月三が日には二〇〇~三〇〇万人の信者がお参りするという。(江東区の民俗深川編より)


成田山深川不動堂所蔵の文化財

  • 石造燈明台明治31年在銘(江東区指定文化財)
  • 石造燈籠明治15年在銘 一対(江東区登録文化財)
  • 石造玉垣明治22年在銘(江東区登録文化財)
  • 深川不動堂本堂(江東区指定文化財)
  • 木造不動明王坐像付二童子像(江東区登録文化財)
  • 木造五大明王像四躯(江東区登録文化財)
  • 銅造二童子像明治25年在銘(江東区登録文化財)
  • 銅造倶利迦羅剣・二童子像明治20年在銘(江東区登録文化財)
  • 銅造不動慧童子像(江東区登録文化財)
  • 志満寿左久良碑(江東区登録文化財)
  • 三世哥沢芝金碑(江東区登録文化財)
  • 華道古流家元松盛斎碑(江東区登録文化財)
  • 力石加藤吉太郎・川手金次郎在銘(江東区登録文化財)
  • 豊来講碑大正10年在銘(江東区登録文化財)
  • 内陣十六講碑明治18年在銘(江東区登録文化財)
  • 百度敷石奉納碑明治30年在銘(江東区登録文化財)
  • 百度石大正14年在銘(江東区登録文化財)
  • 水盤剣大講奉納(江東区登録文化財)

成田山深川不動堂の周辺図


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