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勝智院|江東区大島にある真言宗智山派寺院

勝智院の概要

真言宗智山派寺院の勝智院は、愛宕山と号します。勝智院は、慶長元年(1596)に創建、栄鑁(延宝5年1677寂)が開山したとといいます。昭和41年勝智院は佐倉市上座(ユーカリが丘)へ移転、当地は出張所として残されたといいます。江戸時代後期には俳人小林一茶が勝智院に住していたとも伝えられる他、荒川辺八十八ヶ所霊場76番札所ともなっていました。

勝智院
勝智院の概要
山号 愛宕山
院号 勝智院
寺号 -
住所 江東区大島5-39-30
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 荒川辺八十八ヶ所霊場76番札所、愛宕神社(現亀出神社)、稲荷神社(現大島稲荷神社)のもと別当



勝智院の縁起

勝智院は、慶長元年(1596)に創建、栄鑁(延宝5年1677寂)が開山したとといいます。昭和41年勝智院は佐倉へ移転、当地は出張所として残されたといいます。

新編武蔵風土記稿による勝智院の縁起

勝智院
新義真言宗、亀戸村普門院末、愛宕山と号す。本尊大日を安す。開山栄鑁、延宝5年12月18日寂せり。(新編武蔵風土記稿より)

「江東区の民俗城東編」による勝智院の縁起

勝智院出張所
『葛西志』によれば、慶長元年(一五九六)に創立され、開山は不明で、中興開山の栄鑁は延宝五年(一六七七)に亡くなった。愛宕社・稲荷社の別当であるという。
井上脩之介の「江戸の一茶」によれば、享和三年(一八〇三、一茶四一歳)のころから文化元年(一八〇四)まで小林一茶が勝智院に住んでいた。「享和句帳」の見返しに「江戸本所五ツ目大島愛宕山別当一茶雲外 印」と署名があるそうである。その時の住職は栄順であり、栄順は俳号を白布といい、着飾派四世其日庵野逸の門人であった。野逸が一茶を住まわせることを白布に頼んだようであり、また、栄順の時代に野逸は女木塚を勝智院が管理していた愛宕社に建立したという。享和三年ごろに一茶が住んでいた場所については大島二丁目の愛宕神社(註:大島愛宕神社)という説(川島つゆ『一茶種々相』)もあるが、最近の研究、小林計一郎の『小林一茶』・矢羽勝幸の『一茶大事典』などでは勝智院説となっている。
勝智院は道路計画のため、昭和四一年に佐倉市に墓地や江東区の文化財の醤油塚も含めて移転した。現在地には出張所という建物のみが残り、活動は大島ではしていない。寺院は移転したが、檀家は現地周囲にとどまり、墓参りなどには佐倉に行っており、この地の歴史を語る上で欠かせず、また、近年まで江東区内に存続していたので記載した。(「江東区の民俗城東編」より)


勝智院の周辺図


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