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冬木弁天堂|江東区平野にある真言宗単立寺院、深川七福神の弁財天

冬木弁天堂の概要

宝珠山冬木弁天堂は、材木商冬木五郎右衛門直次が承応3年(1654)に江州竹生島(滋賀県)の弁財天の分霊を日本橋茅場町(中央区)の邸内にまつり、宝永2年(1705)にその孫弥平次がこの地に移したと伝えられています。深川七福神のひとつ弁財天として親しまれています。

冬木弁天堂
冬木弁天堂の概要
山号 宝珠山
院号 -
寺号 冬木弁天堂
住所 江東区冬木22-31
宗派 単立(古義真言宗)
葬儀・墓地 -
備考 深川七福神の弁財天



冬木弁天堂の縁起

冬木弁天堂は、材木商冬木五郎右衛門直次が承応3年(1654)に江州竹生島(滋賀県)の弁財天の分霊を日本橋茅場町(中央区)の邸内にまつり、宝永2年(1705)にその孫弥平次がこの地に移したと伝えられています

冬木弁天堂の縁起

冬木弁天堂
明治の初めまで冬木屋という材木商の屋敷内に弁天が祀られていた。冬木屋は上野国から出てきて江戸茅場町に住んでいた上田直次がおこした材木商で、寛永年間(1624-44)の巳年に琵琶湖竹生島弁天の出開帳があり、結願の日の夜半に願主上田直次の夢の中に弁天があらわれ、われ今よりこの地にとどまってながく来世の衆生を済度せん」と告げ、これを霊夢と感得し、その託宣に従い屋敷内に弁天を祀るようになった。承応三年(1654)に冬木屋という屋号で材木商を営み、明暦の大火などの復興需要で商売は繁盛し、三代目弥平次のとき、宝永二年(1705)に現在地に移り、町屋を建て、町名を屋号から冬木町と名付け、屋敷内に弁天を祀っていた。宝暦一〇年(1760)、当時有名な仏師津田丹治は江ノ島弁財天の像に模して裸の弁財天像を造り、冬木弁天堂に奉納した。この像は関東大震災で焼失してしまったが、同様の裸の弁天像を本尊として祀り、一二年に一度の巳年にお衣替えの儀式を続けているという(「深川七福神 冬木弁財天の由来」)。
明治三年(1870)に冬木家が弁天堂を一般に開放し、誰でもがお参りできるようになり、万徳院の境外仏堂となる。昭和三〇年(1955)、真言宗系の単立寺院として独立する。開運弁天講により、維持されているという。深川七福神の一つである(「寺社めぐり11」)。(江東区の民俗深川編より)


冬木弁天堂の周辺図


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