金剛寺|北区滝野川にある真言宗豊山派の寺院
金剛寺の概要
真言宗豊山派の金剛寺は、瀧河山松橋院と号し、弘法大師が遊歴した際に創建したと伝えられており、治承年中(1177-81)には源頼朝が当地に布陣したとも記されています。当寺の弁財天は、岩屋弁天、松橋弁天とも呼ばれ、多くの信仰を集めた他、当寺が紅葉の名所であったことから、紅葉寺とも呼ばれていました。豊島八十八ヶ所霊場43番札所、荒川辺八十八ヶ所霊場16番札所、上野王子駒込辺三十三ヶ所観音霊場1番札所、北豊島三十三ヶ所霊場31番札所です。
| 山号 | 瀧河山 |
|---|---|
| 院号 | 松橋院 |
| 寺号 | 金剛寺 |
| 住所 | 北区滝野川3-88-17 |
| 宗派 | 真言宗豊山派 |
| 本尊 | 不動明王像 |
| 葬儀・墓地 | - |
| 備考 | 豊島八十八ヶ所霊場43番札所、荒川辺八十八ヶ所霊場16番札所、北豊島三十三ヶ所霊場31番札所 |
金剛寺の縁起
金剛寺は、弘法大師が遊歴した際に創建したと伝えられており、治承年中(1177-81)には源頼朝が当地に布陣したとも記されています。当寺の弁財天は、岩屋弁天、松橋弁天とも呼ばれ、多くの信仰を集めた他、当寺が紅葉の名所であったことから、紅葉寺とも呼ばれていました。
北区文化財案内による金剛寺の縁起
真言宗豊山派。瀧河山松橋院金剛寺と号し、本尊は不動明王像です。
縁起によれば、この地は、弘法大師遊歴の古蹟で、大師自ら不動明王像を彫り、石の上に安置した、これが同寺の本尊であるといい、また治承年中(1177-81)、源頼朝が松橋弁天を信仰し、堂舎を建立、あわせて田園を寄進したが、その後兵火に焼かれ、強盗に田園を掠奪され、宗門すら定かでなかったのを、天文(1532-55)のころ阿闍梨宥印という僧がこれを歎いて北条氏康に訴え、真言宗の道場にしたということです。
松橋弁天というのは、この寺院の西側、崖下にある洞窟(現在は石神井川護岸の裏側になっています)に祀られていた弁財天のことで、岩屋弁天とも呼ばれていました。江戸時代、かなり広く知られていたようで、現在も区内に何ヶ所か、その名を彫った道標が残っています。
「源平盛衰記」に、源頼朝が隅田川を渡って府中に向かう途中、「武蔵国豊島の上滝野川、松橋という所に陣を取る」と記されております。
また、この寺院の一帯は、豊島氏の支族滝野川氏の居館滝野川城跡といわれています。
境内には、鹿島万平翁の碑などがあります。(北区文化財案内より)
源頼朝の布陣伝承地
治承4年(1180)8月、間蔵幕府初代将軍の源頼朝は配流先の伊豆で挙兵し、石橋山の合戦で敗れて安房に逃れましたが、上総・下総を経て隅田川を渡り、滝野川・板橋から府中六所明神に向かい、ここから鎌倉に入って政権を樹立します。
この途次の10月、頼朝は軍勢を率いて滝野川の松橋に陣をとったといわれます。松橋とは、当時の金剛寺の寺域を中心とする地名で、ここから見る石神井川の流域は、両岸に岩が切り立って松や楓があり、深山幽谷の趣をもっていました。崖下の洞窟には、弘法大師の作と伝えられる石の弁財天が祀られていましたが、頼朝は、弁財天に祈願して金剛寺の寺域に弁天堂を建立し、所領の田地を寄進したと伝えられます。
金剛寺は紅葉寺とも称されますが、これは、この地域が弁天の滝や紅葉の名所として知られていたことに由来するからです。(北区教育委員会掲示より)
金剛寺の周辺図
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金剛寺山門
金剛寺弁天堂
金剛寺客殿