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寿徳寺|北区滝野川にある真言宗豊山派寺院、谷津子育観音

寿徳寺の概要

真言宗豊山派寺院の寿徳寺は、南照山観音院と号します。寿徳寺は、建保2年(1214)早船・小宮の両氏が主家の梶原氏と争い、追われて落ち延びる途中で水中から拾いあげ、これを石神井川の川沿いの堂山に安置したのに始まると伝えられています。本尊は、谷津子育観音と親しまれている他、新撰組の近藤勇、および隊士の菩提寺でもあり、境外寺地には、谷津大観音、近藤勇と新撰組隊士供養塔があります。豊島八十八ヶ所霊場12番札所、荒川辺八十八ヶ所霊場17番札所、上野王子駒込辺三十三ヶ所観音霊場12番札所、北豊島三十三ヶ所霊場32番札所です。

寿徳寺
寿徳寺の概要
山号 南照山
院号 観音院
寺号 寿徳寺
住所 北区滝野川4-22-2
宗派 真言宗豊山派
本尊 木造観音菩薩坐像
葬儀・墓地 -
備考 -



寿徳寺の縁起

寿徳寺は、建保2年(1214)早船・小宮の両氏が主家の梶原氏と争い、追われて落ち延びる途中で水中から拾いあげ、これを石神井川の川沿いの堂山に安置したのに始まると伝えられています。本尊は、谷津子育観音と親しまれている他、新撰組の近藤勇、および隊士の菩提寺でもあります。

新編武蔵風土記稿による寿徳寺の縁起

(滝野川村)壽福寺
新義真言宗田端村東覺寺門徒、南照山観音院と號す、本尊子安観音。(新編武蔵風土記稿より)

「北区史」による寿徳寺の縁起

寿徳寺(滝野川)
滝野川町一一二三番地にある。新義真言宗豊山派で、南照山観音院寿徳寺と称し、本尊は聖観音である。建保二年六月相州鎌倉の梶原より当時八頭村と呼んだ当地へ移せるものと伝えられているが、草創の頃のことは真偽不明である。天明年間及び天保年間領主と住職との間に争ひを生じ訴訟沙汰にまでなつたりして、遺物文献等所在不明で詳細は一切明らかでなく、ただ谷津観音とか子育の観音として名高く、母乳不足の女人の参詣が多かつたと云う。(「北区史」より)

北区文化財案内による寿徳寺の縁起

本尊の聖観音菩薩像は、梶原氏の家臣が水中から拾い上げたものといわれている。本堂前にある大イショウは、皮をご飯に炊き込んで食べると母乳が出るといわれているため、母乳に恵まれない母親がよく参拝することから、谷津子育観音としても知られている。
新撰組の近藤勇局長と諸隊士の菩提寺でもある。(北区文化財案内より)

谷津子育観音について

南照山観音院寿徳寺の本尊である谷津子育観音は、木造の観音菩薩坐像です。この観音像は谷津観音と通称され、江戸時代の地誌には子安観音とも、また聖観音とも記されています。
寺伝では、鎌倉時代の初期、早船・小宮の両氏が主家の梶原氏と争い、追われて落ち延びる途中で水中から拾いあげ、これを石神井川の川沿いの堂山に安置したのだと伝えられています。像の姿は蓮華座に坐り、両手で乳児を膝の上に抱えている姿で、指を阿弥陀如来と同じ弥陀の定印に結んでおり、現在は秘仏となっています。
寿徳寺は江戸時代から城北地域の江戸西国三十三観音札所(上野王子駒込辺三十三ヶ所観音霊場)の第12番目の巡礼地にあたり、近江国岩間寺の霊験と同じ功徳をもつものとして多くの人々が訪れています。
境内に切株から芽吹いている銀杏があり、昔飛鳥山付近からも眺められたほどの巨木でした。この樹の皮をはいで本尊に供え、祈願した後に煎じて飲むと母乳が良く出るようになるという信仰もあります。
こうした信仰は昭和の初期にも盛んだったようで、河東碧梧桐の俳句に「秋立つや子安詣の花の束」という句があり、また寺野守水老も「我妹子と子安に詣る小春かな」という句を詠んでいます。(北区教育委員会掲示より)


寿徳寺の周辺図