円勝寺|北区中里にある浄土宗の寺院、御朱印寺
円勝寺の概要
浄土宗の円勝寺は、光明山照徳院と号し、僧信阿聖法(弘安9年2月15日寂)が曲輪内龍ノ口付近に開山したと伝えられます。慶長年間に寺領5石の朱印状を賜った御朱印寺です。
| 山号 | 光明山 |
|---|---|
| 院号 | 照徳院 |
| 寺号 | 円勝寺 |
| 住所 | 北区中里3-1-1 |
| 宗派 | 浄土宗 |
| 本尊 | 阿弥陀如来 |
| 葬儀・墓地 | - |
| 備考 | - |
円勝寺の縁起
円勝寺は、僧信阿聖法(弘安9年2月15日寂)が曲輪内龍ノ口付近に開山したと伝えられます。慶長年間に寺領5石の朱印状を賜った御朱印寺です。
浄土宗芝増上寺末光明山照徳院ト号ス。
本尊弥陀ハ立像長ニ尺許慈覚大師ノ作ト云。開山僧信阿聖法弘安9年2月15日寂。御入国ノ頃ハ御曲輪内龍ノ口辺ニアリシト云。
勢至堂。佛師春日ノ作レル立身ノ勢至ヲ前立トシ故アッテ三尊弥陀ヲ丙佛ニ安ス。
鐘楼、正徳2年新鋳鐘ヲカク。
御腰掛松、古木ハ枯テ植纏シモノナリ相傳フ慶長ノ頃此辺御遊猟ノ時当寺ヘ成ラセラレ此松ニ御腰ヲ掛サセラレシ故此名アリ。又此時寺領5石ノ御朱印後年回録ニカカリ烏有トナリ地所ハ今ニ領セリ。(御府内寺社備考より)
円勝寺にある文化財
- 馬込家墓
伊佐家の墓
円勝寺の墓域には石州流茶道の流れをくむ伊佐家代々の墓があり、墓石に文化5年(1808)11月銘の初代と二代の和歌及び・俳句が刻まれています。
出る日も入る日も遠き霊鷲山 またゝくひまに入相のかね 初代 半寸庵知當
後世のたひおもむきたまふ秋の夜の わかれそむかし今のおもひて 二世半寸庵知義
極楽や冬こもりする 阿弥陀堂 二世半寸庵吟洌
伊佐家は江戸時代の茶人の家柄で、代々幸琢を名乗り、数寄屋頭を勤めました。初代(1684~1754)は半々庵と号し、怡渓宗悦に石州流茶道を学んで石州流伊佐派の開祖となりました。二代 (1706~95)は半提庵、三代(~1808)は半寸庵と号しました。
数寄屋頭とは茶道頭とも称した江戸幕府の職制で、若年寄の支配下にありました。職務は数寄屋坊主を指揮して、御三家や大名などの茶事を取り扱うことです。伊佐家は数寄屋頭として幕府の茶道を支配していたので、武家茶道界では大きな勢力を持っていました。特に三代の門下からは、茶人としても著名な松江藩主の松平不昧 (治郷・1751~1818)などが輩出しました。
円勝寺の周辺図
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円勝寺参道
円勝寺山門