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赤羽山法善寺|北区赤羽台にある浄土真宗東本願寺派寺院

法善寺の概要

浄土真宗東本願寺派寺院の法善寺は、赤羽山と号します。法善寺は、野村次郎高就(了賢)が江戸に建立した寛慶山常福寺を前身とし、大正12年(1923)第16世理賢師の代に赤羽に開基、昭和3年当地に仮本堂を設けて創建したといいます。

法善寺
法善寺の概要
山号 赤羽山
院号 -
寺号 法善寺
住所 北区赤羽台3-24-2
宗派 浄土真宗東本願寺派
本尊 -
葬儀・墓地 -
備考 法善寺保育園



法善寺の縁起

法善寺は、野村次郎高就(了賢)が江戸に建立した寛慶山常福寺を前身とし、大正12年(1923)第16世理賢師の代に赤羽に開基、昭和3年当地に仮本堂を設けて創建したといいます。

境内掲示による法善寺の縁起

浄土真宗東本願寺派 赤羽山法善寺 縁起
法善寺の由来は、佐々木六角刑部少輔久綱三世の孫、野村越中守高勝の二男、次郎高就が慶長4年(1599)に三河の国の真宗有力寺院であった佐々木上宮寺の弟子となり了賢と称し、同14年江戸に出府し法善寺の前身寛慶山常福寺を建立したことに始まる。寛永10年(1633)には了賢師の嫡子浄賢師が本願寺より法善寺の寺号を授かり神田に寺所を定める。明暦3年(1657)通称ふりそで大火で類焼。同じく類焼した神田明神下にあった本願寺別院が幕府より浅草の土地を寄進され再建されたのに伴い同敷地内に法善寺を移転。明和9年類焼。文化3年類焼。文化9年(1812)大火災を避けるため本願寺から離れ寺所を浅草清島町(現東上野6丁目、龍飛山法善寺の現在地)に移転する。
第16世理賢師(当山開基)の時、東京市(当時)の市区改正計画のため浅草からの移転を余儀なくされ、大正10年(1921)に赤羽に土地を求めた(現北中学校の一部)ところ、同12年の関東大震災で市区改正計画は変更され浅草法善寺はその地に残ることとなる。赤羽の寺所は昭和3年(1928)に陸軍弾薬庫の拡張のため陸軍被服廠の土地であった現在地に再度移転。仮本堂を設け赤羽法善寺が始まる。昭和34年真宗大谷派に加盟。昭和47年現本堂落成。昭和58年真宗大谷派から独立。昭和63年東京本願寺を本寺とする浄土真宗東本願寺派設立に伴い同派に加盟。現在に至る。(境内掲示より)

「北区史」による法善寺の縁起

法善寺
赤羽五丁目にあり、真宗大谷派に属し阿弥陀如来を本尊とする。大正十二年九月二十日浅草清島町一〇五(現台東区)から移転。(「北区史」より)


法善寺の周辺図




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