十条富士神社|北区堀船の神社
十条富士神社の概要
十条富士神社は、江戸時代中期に流行した富士信仰により、築かれたものと推定されます。
| 社号 | 十条富士神社 |
|---|---|
| 祭神 | 木花咲耶命 |
| 相殿 | - |
| 境内社 | - |
| 祭日 | 例祭日6月30日・7月1日 |
| 住所 | 北区中十条2-14 |
| 備考 | 梶原堀ノ内村鎮守 |
十条富士神社の由緒
十条富士神社は、江戸時代中期に流行した富士信仰により、築かれたものと推定されます。十条冨士塚は、古来より当地にあった塚の一つで、その塚を利用して築かれました。
新編武蔵風土記稿による十条富士神社の由緒
塚二
往還の西にあり。共に由来は傳へず。「江戸志」に当村に遠藤塚と云ものありと載しは、此二つの内なるへし。(新編武蔵風土記稿より)
北区観光ガイドブックによる十条富士神社の由緒
地元では「おふじさん」の名で親しまれている。江戸時代に富士山に行けなかった庶民たちが富士塚を築き、富士山に見立てて参詣していた。毎年、山開きの日に祭礼が行われ、道沿いに多くの露店が並び大変賑わう。冨士塚は、北区指定民俗文化財に指定されている。(北区観光ガイドブックより)
十条富士神社所蔵の文化財
- 十条冨士塚
十条冨士塚
十条冨士塚は、十条地域の人々が、江戸時代以来、冨士信仰にもとづく祭儀を行ってきた場です。
現在も、これを信仰対象として毎年6月30日・7月1日に十条冨士神社伊藤元講が、大祭を主催し、参詣者は、頂上の石祠を参詣するに先だち線香を焚きますが、これは冨士講の信仰習俗の特徴のひとつです。
塚には、伊藤元講などの建てた石造物が、三十数基あります。銘文によれば遅くとも、天保11年(1840)10月には冨士塚として利用されていたと推定されます。
これらのうち、鳥居や頂上の石祠など16基は明治14年(1881)に造立されています。この年は、冨士講中興の祖といわれた食行身禄、本名伊藤伊兵衛の150回忌に当りました。石造物の中に「冨士山遥拝所再建紀年碑」もあるので、この年、伊藤元講を中心に、塚の整備が行われ、その記念に建てたのが、これらと思われます。
形状は、古墳と推定される塚に、実際の富士山を模すように溶岩を配し、半円球の塚の頂上を兵平坦に削って、富士山の神体の分霊を祀る石祠を置き、中腹にも、富士山の5合目近くの小御岳神社の石祠を置いています。また、石段の左右には登山路の跡も残されており、人々が登頂して富士山を遥拝し、講の祭儀を行うために造られたことが知られます。(北区教育委員会掲示より)
十条富士神社の周辺図
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十条富士神社鳥居