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松浦の鐘|松浦河内守信正奉納の梵鐘、葛飾区東金町の観光名所

松浦の鐘の概要

松浦の梵鐘

松浦の鐘は、松浦河内守信正が奉納した梵鐘で、下小合村(東金町)竜蔵寺にありましたが、明治2年の廃仏毀釈で廃寺となり、村民所有となりました。第二次世界大戦の際にも供出を免れ、区指定の文化財として、水元公園近くの水元さくら堤に保存されています

松浦の鐘
観光名所名 梵鐘(通称松浦の鐘)
住所 葛飾区東金町5-5
みどころ 桜並木、水元公園
備考 葛飾区指定有形文化財



松浦の鐘の案内

この梵鐘は、旧小合村の領主である松浦河内守信正が宝暦7年(1757)に小合村の菩提寺、竜蔵寺に奉納したものです。下野佐野の鋳物師利右衛門の制作で総高121.4センチ、口径68.5センチで中央部四箇所に梵字があります。さらに明和6年(1769)松浦河内守の没年に、遠江宝泉寺の住職勝東州の撰になる銘文が刻まれています。明治のはじめに龍蔵寺が廃寺になると鐘は村有となり水害や非常の際に用いられました。
松浦河内守信正(1693~1769)は長崎奉行や勘定奉行に任ぜられた幕府の要人です。晩年下小合村に隠居し亡くなると龍蔵寺に葬られました。生前に自ら造立した墓塔は円盤状で今は青戸の宝持院にうつされています。

松浦河内守信正について

松浦氏は下小合村の領主として数台続いた幕臣で、河内守信正は元禄9年(1696)5月幕府の御勘定頭松浦一左衛門の三男として江戸の官邸に生まれ、宝永元年(1704)4月9歳のとき、先代信守の養子となった。享保3年(1718)御書院番士となり、堂18年江戸城西の丸の徒士頭に転じ、元文2年(1737)駿府町奉行、ついで大阪町奉行となり、延享3年(1746)御勘定奉行に昇進、寛延元年(1748)6月長崎奉行の要職に抜擢された。ところが、長崎在勤中、納米について幕府へ偽りの報告をした罪で、閉門を命ぜられ小普請入りとなった。
信正はその後罪をゆるされ、晩年は官を辞し、領地葛飾郡下小合村に一寺を建立、信正院と名づけ余生を送ったが、明和6年(1769)5月1日、74歳で生涯を閉じた。


松浦の鐘の周辺図


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