葛西神社|葛飾区東金町の神社

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葛西神社|上葛西・下葛西33郷の総鎮守、旧郷社

葛西神社の概要

葛西神社は、葛飾区東金町にある神社です。葛西神社は、1185年に葛西清重が、上葛西、下葛西33郷の総鎮守として、香取神宮の分霊を勧請したと言われています。江戸時代には徳川家康から御朱印10石を賜り、11月を例大祭とするようになりました。葛西囃子発祥の地として知られているほか、毎月11月に酉の市が行われます。

葛西神社
葛西神社の概要
社号 葛西神社
祭神 経津主神、日本武尊、徳川家康命
相殿 -
境内社 厳島神社、富士神社、北野神社、諏訪神社、天祖神社、綱神社、道祖神社、椿神社、三峰神社、弁天社、稲荷神社、水神社、疱瘡神社、子録神社、金町招魂社
祭日 例祭日9月18-20日、酉の市11月
住所 葛飾区東金町6-10-5
備考 旧郷社



葛西神社の由緒

葛西神社は、1185年に葛西清重が、上葛西、下葛西33郷の総鎮守として、香取神宮の分霊を勧請したと言われています。江戸時代には徳川家康から御朱印10石を賜り、11月を例大祭とするようになりました。葛西囃子発祥の地として知られているほか、毎月11月に酉の市が行われます。

「葛飾区神社調査報告」による葛西神社の由緒

当社はもと香取社と呼ばれた。「新編武蔵風土記稿」金町村の条に、
香取社 村ノ鎮守ナリ。社領十石。御朱印ハ天正十九年十一月附セラル。例祭ハ九月九十の両日ニテ、神輿ヲ神楽殿ヘ移シ、破風柱等ニ葵御紋ノ金具ヲ打附テ、機関ヲ設ケタル三番叟ノ人形ヲ飾リ、神酒ヲ備テ天下泰平五穀成就ヲ祈誓ス。下ニ出セル浅野長吉カ文書ニ記セル村々ヨリモ警固ヲ出シ時ノ御代官ヨリ非常ノコトアリシトキ、指揮ノ備ヘトシテ手代ノ者ヲ出セリト云。相伝フ、古、東照宮此辺ヘ成セラレシ時、神事ヲ上覧アリテ、奇特ノコトニ思召サレ、社領ヲ附セラルト云。神楽殿、供所庵、末社、太神宮、天神、道祖神、三社権現稲荷合社、開道明神発道明神合社、別当吉祥院、新義真言宗村内金蓮院末。竜香山ト号ス。本尊十一面観音ハ香取ノ本地仏ナリ。薬師堂 寺宝 御茶碗一 東照宮御放鷹ノ時、当社ヘ御腰ヲ掛サセ給ヒ、御茶ヲ召上ラレシ器ナリト云。
とある。当社は元暦二年(1185)領主の葛西三郎義重が、葛西三十三郷の総鎮守として、当地を役領としていた下総国香取神宮を勧請したものと伝えられる。神領葛西御厨のうち、金町・小鮎(小合)・猿俣(猿町)・飯塚の四郷は、古来、二十一年毎の香取神宮造営の賦役を勤めていたことは、「香取文書」のうち、鎌倉時代から室町時代にかけての文書に「猿俣役一岐入道 一ニの鳥居1基 下葛西領役同跡」「ニノ鳥居 葛西伊豆入道明蓮跡」「一宇 土佐殿 同北条庄役所地頭飯高彦三郎 小鮎・猿俣役所地頭葛西伊豆四郎入道」「一鳥居一基 下総下葛西役所同跡」「宝殿一宇 三間葦葺在金物作新宮 米六千石 猿俣御本役也 仍地頭葛西新左衛門入道□□造進之」、「治承元年丁酉十二月九日 香取造営次第 葛西三郎清重」「一被下宣旨於嘉禎四年丙子六月七日 葛西入道定蓮」「一被宣旨於弘長元年辛酉十二月十七日 葛西伯耆前司入道経蓮」「一被下宣旨於永仁二年庚午三月十八日 葛西伊豆三郎兵衛尉清貞」「ニ鳥居一基 下葛西役同跡」などと散見することから明らかである。
降って天正18年(1590)4月、豊臣秀吉から朱印地10石を附せられ、秀吉の臣浅野長吉からの取次状が現存し、翌年また前記「新編武蔵風土記稿」記載の由緒によって、徳川家康からも朱印10石が附せられた。この家康朱印下附の端緒となった操人形の行事は、寛政11年(1799)6月、禁止となり、同8月、無住の別当吉祥院に代って高須村宝蓮寺から寺社奉行に継続を申し出で、翌年8月、さらに氏子惣代や村役人も連署して嘆願したが、その結果は明らかでない。その間元文二年(1737)には京都吉田家から祭神を正一位に補する旨の宗源宣旨を受けている。また明治維新までは、神社の祭礼に際して鳥居に三十三垂の注連縄を掲げ、祭礼後これを各町村に分配したのは、神社が葛西三十三郷の総鎮守という由緒に由来した行事であった。明治維新に際し、別当十三世秀赦は香山範英と改名して神主となり、明治5年祠掌を拝命した。したがって別当吉祥院は廃寺となった。社名は明治5年の社格制定の時、香取神社と称し、同14年12月奉斎者葛西三郎清重の事績に鑑み、葛西神社と改称した。
社殿は中世の兵乱にしばしば炎上したが、天和元年(1681)の造営は棟札によって知られ、さらに宝暦三年(1753)・文政十二年(1829)と明治18年10月の改築を経て、江戸川改修工事に伴い、旧社殿は社殿の向かって右手前に移して宝物殿に改修し、翌年9月には水盤舎を新築した。相殿の大鳥神社(祭神日本武尊)は大正の初年、現在の葛飾橋の北から移して合祀されたもので、<金町のおとりさま>として親しまれ、毎年11月の酉の日には、境内に熊手の市が立って賑わう。また富士神社の旧小丘は明治39年、江戸川の改修工事で崩され、同44年、社殿の東側に新たに築成され、<金町のお富士さん>として知られている。(葛飾区教育委員会 葛飾区神社調査報告より)

葛西神社所蔵の文化財

  • 葛西囃子(東京都無形文化財)
  • 板絵着色赤穂浪士討入の図(葛飾区指定文化財)
  • 浅野長吉文書 1点(葛飾区指定文化財)
  • 葛西神社鍾馗石像 1基(葛飾区指定文化財)
  • 葛西神社のイチョウ(葛飾区指定文化財)

葛西囃子(東京都無形文化財)

当社は、むかし香取宮と称し元暦元年(一、一八四)下総国香取神宮の御分霊を勧請し葛西三十三郷の総鎮守として創立したものと伝えられ、天正十九年(一、五九一)十一月徳川家康より御朱印十石を賜わった、享保年間能勢氏の創作した「和歌ばやし」は後「葛西ばやし」として江戸市中をはじめ近郷一帯の祭礼時に「はやし」として流行し、今なお当地方の郷土芸能の一つとして伝わり、昭和二十八年十一月三日、東京都無形文化財に指定され今日に至る。(葛飾区・葛飾区観光協会掲示より)

葛西神社の周辺図