上鶴間鹿島神社。相模原市南区上鶴間本町の神社

猫の足あとによる神奈川県寺社案内

上鶴間鹿島神社。建久年間前後の創建、旧指定村社

上鶴間鹿島神社の概要

鹿島神社は、相模原市南区上鶴間本町にある神社です。鹿島神社の創建年代は不詳ですが、建久年間(1190-1199)に源頼朝が鶴舞の里(鶴間)に鶴舞神社(今の浅間神社)を創建したと伝えられる頃に相前後して創建したと推定されるといいます。当初境川付近に在りましたが、享和元年(1801)当地へ遷座、昭和8年には指定村社に列格していたといいます。

鹿島神社
鹿島神社の概要
社号 鹿島神社
祭神 武甕槌命
合祀 -
境内社 -
祭日 例大祭9月第1土日曜日
住所 相模原市南区上鶴間本町3-7-11
備考 -



上鶴間鹿島神社の由緒

鹿島神社の創建年代は不詳ですが、建久年間(1190-1199)に源頼朝が鶴舞の里(鶴間)に鶴舞神社(今の浅間神社)を創建したと伝えられる頃に相前後して創建したと推定されるといいます。当初境川付近に在りましたが、享和元年(1801)当地へ遷座、昭和8年には指定村社に列格していたといいます。

新編相模国風土記稿による上鶴間鹿島神社の由緒

(上鶴間村青柳寺項)鹿島社。
小名谷口の鎮守とす、正徳元年再建の棟札あり、古は村の北界にあり、舊地石祠を置き、元鹿島と稱す。(新編相模国風土記稿より)

「さがみはら風土記稿」による上鶴間鹿島神社の由緒

上鶴間谷口地区の鹿島神社はJR横浜線町田駅にほど近いところにあります。古くからの谷口集落を守るように神社の森が市街地の喧燥をさえぎり、お年寄りに散歩の場を提供しています。すぐ隣に接しているのは方運山青柳寺で、両者は歴史的にも共に深い関係で結ばれています。
この鹿島神社がいつ創建されたのかは諸説様々あり、よくわかっていません。ただ、享和元年(1801)の「鎮守鹿島明神社遷座願」という文書が残されており、これによると下森という場所に村の鎮守鹿島明神社があるが村はずれのために参詣しにくく、また管理上の問題もあるため青柳寺境内の天神山の脇に遷座してもよろしいか、というような願文を青柳寺に出していたことがわかります。
つまり、この時にはすでに下森に鹿島明神社が、そして現在鹿島神社がある場所には天神社があったことがわかります。この天神社は現在境内に「天満宮」として祀られており、下森の鹿島明神社があった場所は「もとかしま(元鹿島)」と呼ばれ、その記念碑と石岡建てられていました。しかし、近年区画整理事業が行われたため、共に従前地に近い川沿いの場所に移築されています。(「さがみはら風土記稿」より)

境内掲示による上鶴間鹿島神社の由緒

鹿島神社の御祭神は、武甕槌命(タケミカツチノミコト)で、この神は関東を中心に広がっている鹿島神社の総本社・鹿島神宮(茨城県)の祭神として知られている。当鹿島神社の創建も、おそらく建久年間(1190-1199)に源頼朝が鶴舞の里(鶴間)に鶴舞神社(今の浅間神社)を創建したと伝えられる頃、これに因んで村人が相前後して、関東・東北地方を開拓され、そして農耕と深く関係する武甕槌大神を祀る鹿島神宮の御分霊を各々の村に勧請した神社の一つであろうと思われる。
新編相模国風土記稿によると町田森野と鵜野森(大正十年日枝神社に合祀)と谷口村下森の、約三百米離れたところに各々鹿島神社があったので、土地の人々は三鹿島と呼んでいたという。当時谷口村に居住していた、渋谷越後守義重が今から四百十六年前の文禄三年(1594)に谷口村総鎮守鹿島大明神より分霊を我が屋敷内に移し奉り守護神とした、とあることからその前から当鹿島神社が村の鎮守様と親しまれていたのは明らかである。
正徳元年(1711)に社殿を再建したが場所が谷口村の北辺の高座川(今の境川)端の下森にあり何かと参詣に不便であった為、享和元年(1801・今から二百九年前)八月、現在地に遷宮した。それから四年後の文化二年(1805)に下森の遷宮跡地は石宮を建設し、鎮守古宮(註:古宮鹿島神社)と称した。現在は同地の区画整理により石祠を上鶴間本町二丁目十一番の地に遷し奉った。
文政二年(1819・百九十一年前)十月に欅材建造の中宮殿が完成し、天保八年(1837)御神体奉安、天保十三年欅材の春日鳥居再建、弘化四年(1847)現存している石燈籠一対も供えられた。安政六年(1859)には現在宝蔵殿に安置されている先代の神社神輿が新調され、嘉永六年(1854)には村内の木材を利用して大幟枠竿を一対新調したという。
それまで鹿島神社の行事の全ては青柳寺の歴代住職が斎行し、神社の名称も鹿島大明神または鹿島大神宮などと称せられたが、明治元年(1868)三月、神仏分離令が発せられて明治四年以降は無格社鹿島神社と称す。
大正九年(1920)には宝蔵殿を新築(現存)したが大正十二年(1923)九月の関東大震災により草葺屋根社殿が大破した。現在の社殿は大正十五年(1926)四月上棟祭を行い、昭和二年(1927)に完成し、記念碑を建立した。さらに昭和八年(1933)社殿の亜鉛板葺き屋根を銅板葺き屋根に改造している。この年、神饌幣帛料指定村社鹿島神社と称号が昇格した。そして昭和二十八年(1953)に宗教法人鹿島神社として現在に至っている。
以後神社境内の整備充実につとめ、昭和四十三年(1968)には明治維新百年を記念して社殿、宝蔵殿および社務所(旧)の整備や周囲全域にわたり花崗石玉垣と石灯籠の新設を行い、翌昭和四十四年(1969)に記念事業完成式典を大々的に挙行した。
さらに神社・境内の整備充実は進み、昭和五十年(1975)九月に例大祭を記念して手水舎を新設して、平成元年(1989)には神社神輿を新調した。最近でも地元の絶大な協力を得てますます発展を続けており、平成十五年(2003)には念願の本格的な現在も崇敬者の数非常に多く尊崇、日々に厚い。(境内掲示より)


上鶴間鹿島神社の周辺図


参考資料

  • 新編相模国風土記稿
  • さがみはら風土記稿