古淵鹿島神社。相模原市南区古淵の神社

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古淵鹿島神社。南北朝時代に地頭渡辺義博の子義喬が創建

古淵鹿島神社の概要

鹿島神社は、相模原市南区古淵にある神社です。鹿島神社の創建年代等は不詳ながら、南北朝時代に当地の地頭だった渡辺義博の子義喬が創建したともいいます。

鹿島神社
鹿島神社の概要
社号 鹿島神社
祭神 武甕槌命
相殿 -
境内社 香取神社、稲荷神社
祭日 例大祭8月最終土曜日
住所 相模原市南区古淵1-34-23
備考 -



古淵鹿島神社の由緒

鹿島神社の創建年代等は不詳ながら、南北朝時代に当地の地頭だった渡辺義博の子義喬が創建したともいいます。

新編相模国風土記稿による古淵鹿島神社の由緒

(淵野辺村)鹿嶋社
七月二十八日祭事あり。
末社。稲荷、香取。(新編相模国風土記稿より)

さがみはら風土記稿による古淵鹿島神社の由緒

鹿島神社はJR横浜線古淵駅から町田市に向かう境川橋の近くにあります。
そこは古くは「やと」と呼ばれた地域で、鹿島神社はその鎮守でした。境内のまわりはうっそうとした杉林で、今なお森閑とした雰囲気をかもし出しています。
この神社を創建したのほ南北朝時代に活躍したこの村の地頭、淵辺義博の子、義喬であると伝えられています。
淵辺義博は足利尊氏の弟直義の家臣として護良親王を殺害したとされる人物ですが、地域では連に親王を助け出し、奥州石巻までお連れした忠臣ということになっています。また、境川に巣くう大蛇を退治したという武勇伝も伝わり、その子義喬も当然のことながら立派な武将とされています。しかし、現実的には養喬がどのような人物であったのか、どのような活躍をしたのかなどいっさいわかっておらず、その存在すら疑問視する人もいます。
ただ、この神社の境内にそびえ立つ御神木の大ケヤキは義喬が植えたものといわれ、その前に立つ「カナメ石」も義喬がここに配したものだと伝えられていることを考えると、淵辺伝説がいかにこの地域の人々の心に深く棍づいているのかをうかがい知ることができます。(さがみはら風土記稿より)

相模原市・相模原市観光協会掲示による古淵鹿島神社の由緒

この神社はいつ創建されたかは不明ですが、新田義貞が鎌倉攻めのおり祈願のために建立した言い伝えがあり、また、渡辺義博の子、義喬が建立した言い伝えもあります。
古文書よよりますと、文禄2年(1593年)に奉再建鹿嶋大明神一社一宮御修復とあり、その後、慶安3年、寛延2年、文政2年に再建した記録があり、明治34年5月22日に焼失し、同36年に再建され現在に至っています。
毎年5月22日を『焼日祭』と言って祈願しています。
境内の大ケヤキは千年を経ていると言われ、根元にある石は「カナメ石」と呼ばれ、境川のほとりにあった「田の神」とも言われています。
祭神は「武甕槌神」で本殿右は「香取神社」、大ケヤキの横は「稲荷神社」を祭っています。
遠い昔より村の鎮守様として守り今日に至っています。(相模原市・相模原市観光協会掲示より)


古淵鹿島神社の周辺図


参考資料

  • 新編相模国風土記稿
  • さがみはら風土記稿