相原八幡宮。相模原市緑区相原の神社

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相原八幡宮。武蔵国国司小野孝泰が岩清水八幡宮を勧請

相原八幡宮の概要

相原八幡宮は、相模原市緑区相原にある神社です。相原八幡宮の創建年代は不詳ですが、平安時代中期(約1000年前)に武蔵国国司小野孝泰が下向の折、岩清水八幡宮を勧請したと伝えられ、その子孫が粟飯原(相原)氏となったといい、江戸期には相原村・橋本村の鎮守だったといいます。明治維新後、外ノ御前社、日枝神社の2社を合祀され、相原稲荷神社を遷座したといいます。明治初年の地租改正に際して当地が「相原1番地」と定められたことから相原起番地之碑が残されています。

相原八幡宮
相原八幡宮の概要
社号 相原八幡宮
祭神 誉田別尊、牛頭天王
相殿 木花開耶媛神、大山咋神
境内社 相原稲荷神社
祭日 8月最終日曜日
住所 相模原市緑区相原6-5-26
備考 -



相原八幡宮の由緒

相原八幡宮の創建年代は不詳ですが、平安時代中期(約1000年前)に武蔵国国司小野孝泰が下向の折、岩清水八幡宮を勧請したと伝えられ、その子孫が粟飯原(相原)氏となったといい、江戸期には相原村・橋本村の鎮守だったといいます。明治維新後、外ノ御前社、日枝神社の2社を合祀され、相原稲荷神社を遷座したといいます。明治初年の地租改正に際して当地が「相原1番地」と定められたことから相原起番地之碑が残されています。

新編相模国風土記稿による相原八幡宮の由緒

(上相原村)八幡社
例祭八月十五日、相殿に天王を置、神躰鏡、例祭六月十一日、花蔵院持下同。
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山王社
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稲荷社
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外ノ御前社
祭神詳ならず、以上四社當村と橋本村の入會にあり、又花蔵院境内ノ御前社を加へ總て五社を當村及橋本二村の鎮守とす (新編相模国風土記稿より)

さがみはら風土記稿による相原八幡宮の由緒

相原八幡宮は相模原の最北端に位置しています。この場所が相原1番地であるため、昭和63年の住居表示実施のさいには境内に「相原起番地之碑」が立てられました。
境内には花道をもつ昔ながらの神楽殿や寛文7年(1667)の石造物を納めた稲荷社があります。また、普段は見ることはできませんが、覆殿の中にある本殿は江戸後期に造られたもので見事な彫刻装飾が施されています。
しかし、この八幡宮の目じるしは何といっても大きなケヤキでしょう。高さ42m、胸高周囲7.91m、樹齢はおよそ600年と推定される稀にみる大木で、「かながわの名木百選」にも選ばれており、御神木としてまさしく八幡宮のシンボルとなっています。
この御神木が八幡宮の存続のカギを握っていた時代があります。明治末、政府によってすすめられた神社整理により、この八幡宮は橋本村の神明大神宮に合祀されそうになりました。しかし、古くからの鎮守に愛着をもつ相原村の人々がこれを快く思うはずがありません。神霊が宿る御神木の存在を盾に懸命の反対運動をつづけ結局、20年間もかけて合祀案を消滅させることができました。
まさしく御神木は神社の守り神だったわけです。(「さがみはら風土記」より)

境内掲示による相原八幡宮の由緒

相原八幡宮(氏子約3000世帯)は市内緑区相原6丁目に位置し、相原地区の守り神として地域の皆様に親しまれております。
八幡宮の行事は、例大祭・七五三祈願祭・元旦際・元始祭。初午祭等があり、各地区より選出された役員、氏子総代を中心に毎年盛大に開催されています。
相原八幡宮の創建年代は不詳ですが、平安時代の中期(約1000年前)に小野妹子を遠祖とする小野孝泰が武蔵国の国司として下向の折、京の都より岩清水八幡宮を迎え祀ったといわれており、その子孫はこれを継承するとともに「横山党」という武士団を結成し、さらに国境の七国峠を越えて相模国に進出、この地に本拠を構えて「粟飯原」氏を名乗ったので、これがいつしか「相原」となって地名の由来とされていることや、平成8年に天寿を全うして倒れた御神木の大欅が樹齢600年以上と伝えられていることなどからも推察されるのです。
相原八幡宮の祭神は、誉田別尊(応神天皇)ならびに牛頭天王(素戔嗚尊)の二柱で「地域の安泰・繁栄・厄除け」など多大な御神徳を拝受しております。
祭神が鎮座まします本殿は、二間社流造(社殿が左右に分かれて両祭神をそれぞれ祀っている)という非常に珍しい形式のもので、寛政10年(1798)再建の棟札があります。
明治期に入っては、外ノ御前社(子宝・安産の木花開耶媛神)および日枝神社(山と田畑の守護神の大山咋神)の2社が八幡宮に合祀され、次いで相原稲荷神社(倉稲魂神・猿田彦神・大宮能女神の3祭神)が八幡宮境内に遷座されたのでした。
欅、杉、銀杏などの大木(何れも市の保存樹木に指定)に囲まれた境内には、御手洗舎や平成17年に新築の神楽殿などが建っており、鳥居・石灯籠(天保3年・1832)と並んで、明治初年の地租改正と地積簿編成に当ってこの境内が「相原1番地」と定められた【相原起番地之碑】があり、社殿の裏には境川の古称【高座川】の碑も建っています。(相原八幡宮氏子総代会掲示より)


相原八幡宮の周辺図


参考資料

  • 新編相模国風土記稿
  • さがみはら風土記稿