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猫の足あと

香林寺。小田原市板橋にある曹洞宗寺院、小田原三寺

香林寺の概要

曹洞宗寺院の香林寺は、南谷山と号します。香林寺は、大樹乗慶禅師が開山となり文明16年(1487)に創建、北條左京大夫氏綱の室(法名養珠院春苑宗栄大禅定尼)が当寺に葬られた際に堂宇の寄進を受けたことから養珠院が開基となったといいます。海蔵寺・久野総世寺と共に(曹洞宗の)小田原三寺と称され、近隣に数多くの末寺を擁していた中本寺格の寺院です。

香林寺
香林寺の概要
山号 南谷山
院号 -
寺号 香林寺
本尊 薬師如来像
住所 小田原市板橋908
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



香林寺の縁起

香林寺は、大樹乗慶禅師が開山となり文明16年(1487)に創建、北條左京大夫氏綱の室(法名養珠院春苑宗栄大禅定尼)が当寺に葬られた際に堂宇の寄進を受けたことから養珠院が開基となったといいます。海蔵寺・久野総世寺と共に(曹洞宗の)小田原三寺と称され、近隣に数多くの末寺を擁していた中本寺格の寺院です。

新編相模国風土記稿による香林寺の縁起

(板橋宿)香林寺
南谷山と號す、曹洞宗、早川村海蔵寺末、慶安二年領主稲葉美濃守正則、境内二十三石二斗五升三合の除地を寄附す。本尊薬師は(行基作、長二尺五寸五分)、昔村内字南谷にありしを、文明十六年本尊とすと云(按ずるに山號を南谷と號するも、此故なるべし)、開山大樹乗慶(永正七年十一月十八日卒、按ずるに村老の記には、當寺開闢を寛正五年とす、延宝六年十月、人見友玄の記せる寺記に、香林禅寺者、大樹乗慶禅師所者也、盡紹陽石室之舊蹤也、大樹母北條氏、鎌倉之人也、祈給島字宇賀神、感霊夢有孕、大樹生而有異質、及幼眉捷之間生白毫、則知絶俗之祥、七歳而出家、其聡明兼人、或時詣宇賀神、忽然白蛇含玉棒大樹、大樹拝受之終身為至寳、十八而大悟、師事天室、遂傳安叟一派之正脈、而輿之紅袈裟、而證心印、於是欲終長銀之工夫、負笈入於石室、有禅餘則覧大蔵経、多年大器巳成、而出世唱法于相陽云々、按ずるに、大樹感得の玉、當山に傳来せしを、享和三年現住桂芳の時失へりとなり)。
開基は北條左京大夫氏綱の室なり(法諡養珠院春苑宗栄大禅定尼、天文七年三月朔日卒、當寺に葬と傳れど、今葬地詳ならず、延宝の寺記曰、及三世竹堂禅師、氏綱之夫人葬、及葬之香林寺、諡號養珠院以建殿堂塔舎而寄荘園、其輪奐之美、不可勝言、按ずるに此記に拠ば、當寺三世に至り、北條氏綱室家の為に、殿堂造立あり、故に養珠院を開基と稱せしなるべし)。
かかる由緒を以て、古は當寺及本寺海蔵寺久野総世寺を、小田原三寺と唱へ、西郡一派を支配せしと云(延宝中以後は国府臺総寧寺の直隷となれり)、往昔北條氏の臣朝倉播磨なるもの、寺領を寄附し、又永禄二年北條氏政、寺中の禁制、及寺領寄附の事、所蔵の文書に見えたり(其文下に出す)。
(寺寳)
達磨図一軸。巌有院殿の御画と云、官醫人見玄徳拝領せしを、歿後當寺に寄附すとなり。元禄五年現住義泉の添書あり。
笈一箇。開山手澤の物と云、榛製なり、頗る古色を存す。
袈裟二頂。一は竹布の製なり、本寺開山安叟より傳来す。一は芭蕉布にて造る、紹陽和尚の傳衣なりと云。
茶碗一口。開山手澤の器なり、其図左の如し。
古文書四通。(中略)
大鐘。本堂の下にかく、寛文九年の銘あり。
衆寮。
辨天社。鎮守とす。開山大樹の母、江島辨天の霊感を得大樹を生、故に住職の後寺内に勧請すと云。
山神社。稲荷社。
石室。堂後にあり(方九尺、入口二あり、一は竪五尺、横三尺、一は竪四尺、横二尺許)、応永中、紹陽和尚坐禅の舊跡なり。室中に其石像を置(長三尺)、紹陽は關本最乗寺の二世なりと云(按ずるに洞上諸祖傳に、最乗寺開山了庵明の嗣法五人の一に韻陽あり、則此僧なるべし)。
織田信長女墓。今所在詳ならず。寺傳に天正十年信長生害の後、多賀内蔵丞(城介信忠の臣)、小田原に下向す、其頃彼女を伴来り、卒年の後、寺域に葬ると云、或は信忠の室とも傳へり。本堂に其牌を置(刻して云、慈眼院華渓宗春大姉、寛永十八年正月二十九日卒)(新編相模国風土記より)


香林寺の周辺図


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