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川勾神社。中郡二宮町の神社、相模国二宮

川勾神社の概要

川勾神社は、中郡二宮町にある神社です。川勾神社は、磯長国と称していた垂仁天皇の御世、国造阿屋葉造が勅命を奉じて創祀したと伝えられ、相模国二宮となり二宮明神社とも称されていました。日本武尊、源義家、源頼朝など武家の尊崇を集め、徳川家康からは天正19年社領50石の御朱印状を拝領、明治6年郷社に列格、昭和7年県社昇格の内示を得たといいます。

川勾神社
川勾神社の概要
社号 川勾神社
祭神 大名貴命、大物忌命、級津彦命、級津姫命、衣通姫命
相殿 -
境内社 -
祭日 -
住所 中郡二宮町山西2122
備考 相模国二宮、旧県社



川勾神社の由緒

川勾神社は、磯長国と称していた垂仁天皇の御世、国造阿屋葉造が勅命を奉じて創祀したと伝えられ、相模国二宮となり二宮明神社とも称されていました。日本武尊、源義家、源頼朝など武家の尊崇を集め、徳川家康からは天正19年社領50石の御朱印状を拝領、明治6年郷社に列格、昭和7年県社昇格の内示を得たといいます。

境内掲示による川勾神社の由緒

当社は相模国二宮で古くから二宮大明神と称し延喜式所載の名社である。十一代垂仁天皇の朝当国を磯長国と称せし頃その国造阿屋葉造が勅命を奉じて当国鎮護のため崇詔せり。日本武尊東征の時、源義家東下りの時奉幣祈願ありしを始め、武将の崇敬深し。人皇十九代允恭天皇の皇妃衣通姫女皇子御誕生安穏のため奉幣祈願あらせらる。一條天皇の御宇永延元年栗田中納言次男次郎藤原景平当社の初代神官となり爾来今日に及ぶ。建久三年源頼朝夫人平産のため神馬を奉納せらる。建長四年宗尊親王鎌倉に下向ありし時将軍事始の儀として奉幣神馬を納めらる。北条相模守・小田原北条・小田原大久保等皆累世崇敬深く造営奉幣の寄進少なからず、徳川の朝に至り家康公九州名護屋出陣の際祈祷札を献上殊の外喜ばれ御朱印地五十石を寄せらる。爾来徳川累代将軍に及ぶ。正月には必ず江戸城に登城して親しく年礼申上げ御祈礼を献ずるのが例となり幕末まで続行せり。明治六年郷社に列せられ、昭和七年県社昇格の御内示を受け現在に及ぶ。(境内掲示より)

新編相模国風土記稿による川勾神社の由緒

(山西村)二ノ宮明神社
往古は川匂神社と稱す、是(延喜式)に載する所、當国十三座の一なり、衣通姫命・大物忌命・経津彦命、の三座を祀れりと云(神體は函中に納め秘物とす)、當村、及び川匂・二ノ宮・中里・一色・西久保、六村の鎮守なり、建久三年八月五日、源頼朝神馬を奉納あり、東鑑曰、建久三年八月五日、二ノ宮、川匂大明神等仁奉神馬、景時、義村、奉行之、同九日夫人平産のため神馬を納めらる、八月九日、御臺所御産気、鶴岡、相模國神社社佛寺、奉神馬、被修誦経、十二社之一、二之宮、河匂大明神、建長四年四月、宗尊親王鎌倉に下向ありし時、将軍事始の儀として、幣帛神馬等を収めらる(建長四年四月十四日、御幣神馬、可被奉献之、所々、諸國二ノ宮総社、宗尊親王、關東下向無為之上、依為将軍始也)、當社應永の頃回禄に罹りしより、總て古傳を失へりと云、
例祭毎年五月五日(神輿を担て、国府本郷村、字神揃山に至り、祭儀を行ひ帰輿す)、六月晦日(此日には、當所の海濱に神輿を担来りて祭事を行ふ)是を大祭と云ひ、又正月元日より十五日迄祭事を行ふ、是を小祭と呼り(元三、六日、七日、御的神事、八日、十一日、十三日、牛王祭、十五日、御筒弼と唱へ祭儀あり)、国府新宿、六所社神主、近藤因幡が蔵する。天文十三年、北條氏の出せし文書(全文は、国府新宿六所社の條に引用せり)中に、一貫五百文、二ノ宮明神端午祭とあるは、即當社五月五日、大祭の資用として、彼社より當時配當ありしなり、天正十九年、社領五十石の御判物を賜ひ、元和三年、舊に依て御朱印を賜ふ、拝殿・幣殿あり。
神寳。石一顆。高八寸、圓径四尺三寸餘、綱の如き目理あり、依て綱石と名づく、延永の昔、神主二見氏の祖先、勢州二見浦より携来りし物にて、旱年には河中に投じ、雨を祈るに験ありと云。
末社。神明・八幡・春日合社。當国式内神十二座合社、菊久理姫・耶姫・淡島合社、八百萬神・阿屋葉蓮合社、辨天社、以上東五社と云。仲哀天皇・仁徳天皇・武内大臣合社、素盞嗚命、猿女命、愛宕、天神、以上西五社と唱ふ。香取・鹿島・息栖・道祖神合社、稲荷・山神合社、以上の末社破壊して未再建ならず。
随身門。豊磐間戸・櫛磐間戸の二神を置。
本地堂。本社より南方四町許を隔、海道の入口にあり、前に華表あり(礎石のみにて再建ならず)、本地薬師(長八尺八寸、行基作胎中に弥陀の木像を納む)、及十二神を安ず、成就院持。堂の東西に、銀杏樹三株(西方圍一丈三尺餘、東方各圍九尺餘)あり、注連掛木と呼り。
鐘楼。元禄八年の鐘を掛く。(新編相模国風土記稿より)


川勾神社所蔵の文化財

  • 古文書(二宮町指定文化財)
  • 田舟(二宮町指定文化財)

古文書(二宮町指定文化財)

小田原北条氏の臣山角刑部左衛門の書状
北条氏鬼門除守護神として信仰あつく元亀三年(西暦一五七二年)正月三嶋麻役銭など寄進のもの
徳川家康公五十石の寄進状の写し
天正十九年(西暦一五九一年)
徳川家康公の書状
文禄の役家康九州名護屋在陣のときの礼状など十一点
これら多くの古文書に当川匂神社が古くから幕府および有力な武家の深き信仰を受けていたことがわかる。(二宮町教育委員会掲示より)

田舟(二宮町指定文化財)

全容の左半形のみで、原木をくりぬいて作られ、わが国古代奈良朝の頃まで田植えの稲運びに使用されたものと推定される。
大正四年五月当神社浦旧神領地より発掘されたものである。(二宮町教育委員会掲示より)

川勾神社の周辺図


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