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猫の足あと

真福寺。川崎市川崎区にある真言宗智山派寺院

真福寺の概要

真言宗智山派寺院の真福寺は、瑠璃光山金剛院と号します。真福寺の創建年代等は不詳ながら、当寺の薬師如来は、此聖武天皇孝謙天皇二代の守護佛として崇敬を受けたものでその後ほどなく一寺となったといいます。法印覚眼が至徳元年(1384)に再興、栄誉(元禄12年1699寂)が中興したといいます。東海三十三観音霊場34番、玉川八十八ヶ所霊場13番、東国八十八ヵ所霊場2番です。

真福寺
真福寺の概要
山号 瑠璃光山
院号 金剛院
寺号 真福寺
住所 川崎市川崎区堀之内町11-7
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 -



真福寺の縁起

真福寺の創建年代等は不詳ながら、当寺の薬師如来は、此聖武天皇孝謙天皇二代の守護佛として崇敬を受けたものでその後ほどなく一寺となったといいます。法印覚眼が至徳元年(1384)に再興、栄誉(元禄12年1699寂)が中興したといいます。

新編武蔵風土記稿による真福寺の縁起

(川崎宿新宿町)真福寺
東の側にあり。昔は六郷の渡頭にありしが、洪水の時境内川中へ崩れ入て其地の失ひしにより、今の地に移れりと云。新義真言宗神奈川宿金蔵院の末寺にて瑠璃光山金剛院と号せり。又東照坊とも称す。客殿五間に七間本尊薬師木の坐像長さ六寸許、左右に日光月光の二菩薩及十二神の像あり。各立像にて長六寸許、共に行基菩薩の作なりと云。相傳ふ此薬師は聖武天皇孝謙天皇二代の御守護佛として崇敬したまひし所なりと云。其程なく建立せる寺院なりとぞ。古寺寶に唐佛とも覚しき大日ありて、弓削道鏡が崇尊せしと云う傳へし尊像なり。又道鏡か所持の独鈷もありしとぞ。それら皆戦国の時坊舎と同く回禄にあひて烏有となりしといへり。古記録も此時失ひしと云。其後至徳元年に至りて法印覚眼と云僧再興せしとなり。それより十七世の住持栄誉中興す。此僧は元禄十二年九月廿一日寂せり。
天王社。門を入て右にあり。
地蔵堂。是も同邊にあり。地蔵の像は長二尺許石の立像なり。(新編武蔵風土記稿より)

川崎市史による真福寺の縁起

真福寺は江戸時代に薬師信仰で栄えた寺であるが、多摩川のあいつぐ氾濫により、戦後、久根崎から現在の堀之内に移った。(川崎市史より)


真福寺所蔵の文化財

  • 庚申塔附石造鉢形香炉(川崎市指定重要郷土資料)

庚申塔附石造鉢形香炉

中国には道教という思想があり、庚申信仰もその一つとして、平安時代にわが国に伝わり、江戸時代から庶民の間にも広まりました。
庚申信仰とは、六十日ごとに巡ってくる庚申の夜に眠ってしまうと、三尸という虫が体内から抜けだして天に昇り、天帝にその人の罪過を報告するので、庚申の夜は眠らずに、庚申待といって、健康長寿を祈願するものです。そこで庚申塔が、礼拝の本尊として建てられるようになりました。
本庚申塔は、江戸時代の寛文五年(一六六五)に建てられたもので、正面には阿弥陀如来立像が、台座部には腰を落とした姿勢の猿が三匹正面を向き、この世での罪過は「言わざる・聞かざる・身ざる」というポーズをとっています。
また、台座部正面には「武州橘樹郡河崎新宿」の銘と十二名の造立者の名前が記されています。これによって本庚申塔は、東海道川崎宿を構成する村の一つである新宿に住んでいた人々によって発願造立されたことがわかります。
なお、本庚申塔の前には、「貞享五年」(一六八八)の銘を刻んだ石造鉢形香炉が据えられています。
川崎市教育委員会は、昭和六十三年十一月二十九日、本庚申塔を川崎市重要郷土資料に指定しました。(川崎市教育委員会掲示より)

真福寺の周辺図


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