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中島八幡神社。川崎市川崎区中島の神社、旧中島村の鎮守

中島八幡神社の概要

中島八幡神社は、川崎市川崎区中島にある八幡神社です。中島八幡神社の創建年代は不詳ですが、元和2年(1616)の社殿修復の棟札があったことや、寛永寺を創建した天海僧正の文書に遍照寺が八幡大菩薩(当社)の別当であることを記載していることから、江戸時代初期には既に中島村の鎮守社であったことがわかります。

中島八幡神社
中島八幡神社の概要
社号 八幡神社
祭神 誉田別命
相殿 天照大御神
境内社 天満宮、稲荷森稲荷神社、神明社、厳島社
祭日 例大祭8月上旬の土日曜日
住所 川崎市川崎区中島2-15-1
備考 -



中島八幡神社の由緒

中島八幡神社の創建年代は不詳ですが、元和2年(1616)の社殿修復の棟札があったことや、寛永寺を創建した天海僧正の文書に遍照寺が八幡大菩薩(当社)の別当であることを記載していることから、江戸時代初期には既に中島村の鎮守社であったことがわかります。

新編武蔵風土記稿による中島八幡神社の由緒

(中島村)八幡社
村の東の端にあり、勧請の年歴詳ならず。神体は秘し置は見ことを許さず、覆屋あり前に拝殿三間に二間なるあり。四十間ばかりを隔て石の鳥居あり。村の惣鎮守にして例祭年々六月十四日なり。此時神輿を旅所へ渡して読経をなせり。此旅所は大島村の境にありて除地二畝六歩あり。(新編武蔵風土記稿より)

神奈川県神社誌による中島八幡神社の由緒

御創建の年代は詳らかでないが戦災前の本殿には二十数枚の棟札が保存されており、その中には元和二年に社殿修理を行った時のものがあった。かなり宙くから中島の鎮守として崇敬の的となっていた事が察せろれる。中島村は此の辺でも離れ島の如く特別の区域をなし、明治初年迄僅か十三戸の小さな村落であったがそれだけにまとまりもよく戦災前の立派な御社殿も此の十三軒が力を合せて造営したもので、祭事も盛大に行って来た。例年八月十五日の例祭には芝居を興行し近隣の名物であった。戦災により建物一切焼失したが一週間後に仮殿を造り、昭和三十二年には社務所を建て、同三十四年には社殿の再建を果し、更に同四十五年には旧社務所を建て換えるなど、伝統的なまとまりの艮さを発揮し、社務所は氏子の人々の諸会合で連日賑いを見せている。(神奈川県神社誌より)

境内掲示による中島八幡神社の由緒

八幡神社は古来から中島の鎮守として、町民の崇敬の中心であります。
ご創建の年代は明らかではありませんが、昭和二十年頃までは本殿に二十余枚の棟札が保存されており、その中の文中に「元和二年(西暦1616年・徳川時代初期)社殿修復」の記録がありました。
また古くは十一世紀の頃、八幡太郎、源義家公による「後三年の役」の功績を後世に伝えるために創建されたとも語られることがありますが確証はありません。
この中島は多摩川下流の堆積地層の中州がやがて小島になり、鎌倉時代に至り、ようやく古地図に記載された程の地域であり、江戸時代には戸数わずか十三戸、徳川後期に至っても五十戸たらずでありました。
その頃より村民協力し八幡神社を創建護持し、更に村内の名刹「光明山遍照寺」の庇護もあり、例年御祭礼を執行し、御神輿巡行や村芝居を興行して近隣村落を併せての一大行事が行われてきました。しかし不幸にして、昭和二十年四月十五日第二次世界大戦による戦災を受け、その一切を焼失しましたが、氏子町民の協力により、昭和三十四年八月吉日、現在の御社殿が再建されたものであります。(中島八幡神社氏子会掲示より)


中島八幡神社の周辺図


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