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琴平神社。川崎市麻生区王禅寺の神社

琴平神社の概要

琴平神社は、川崎市麻生区王禅寺にある神社です。琴平神社は、王禅寺村の名主志村文之丞が、文政9年(1826)に讃岐の金刀比羅宮の分霊を勧請し、神明社と合祀して琴平神社としたといいます。王禅寺村にあった神明社の創建年代等は不詳ながら、元亀(1570-1573)の頃の創建といいます。

琴平神社
琴平神社の概要
社号 琴平神社
祭神 大物主命、天照皇大神
相殿 -
境内社 -
祭日 10月10日
住所 川崎市麻生区王禅寺400
備考 -



琴平神社の由緒

琴平神社は、王禅寺村の名主志村文之丞が、文政9年(1826)に讃岐の金刀比羅宮の分霊を勧請し、神明社と合祀して琴平神社としたといいます。王禅寺村にあった神明社の創建年代等は不詳ながら、元亀(1570-1573)の頃の創建といいます。

新編武蔵風土記稿による琴平神社の由緒

(王禅寺村)神明社
除地、二畝二十歩、村の中ほどにあり、小祠なり、東向、まへに小なる鳥居をたつ、村持。(新編武蔵風土記稿より)

神奈川県神社誌による琴平神社の由緒

創建の年代を詳にしないが徳川家康が関東鎮護、国土泰平の祈禱所としてしばしば参詣した社伝がある。神明社の初期の御社殿は元亀の頃の創建という。二化秀忠の時、王禅寺村は御台所の御化粧料の領地となり、領主の所禱所として、年々伊勢踊り神事(神楽舞)祭礼等盛大にとり行なわれていた。御台所が他界の後芝増上寺に寄進され、御仏殿料の地となって、寛永十一年以降田畑納米百九拾弐俵と定め、凶林竹木守護、その他諸役を免除された。文化元年芝増上寺御霊屋料二十五ケ村名主取締役をも兼ねていた神主、志村文之焏は、十六歳の時より讃州、琴平宮の信心が厚く、十八度参詣の後、ようやく素志を貫ぬき、本宮の分霊を始めて関東に迎え、神明社の相殿に奉斎し、現在の社殿及工作物を寄進造営した。以後、金万比羅大神の御神徳を通して、天照皇大神に帰一するの信仰により、近郷近在はもとより、武蔵国(東京・神奈川・埼玉の一部)一帯に崇敬者を有するようになった。現在の御本殿、拝殿ともに文化元年の建築そのままである。(神奈川県神社誌より)

「川崎歴史ガイド」掲示による琴平神社の由緒

王禅寺村の名主であった志村文之丞が、文政九(1826)年に讃岐の金刀比羅宮の分霊を勧請し、神明社と合祀したものである。現在は「柿生のこんぴらさん」と呼ばれ人々に信仰されている。(「川崎歴史ガイド」掲示より)


琴平神社の周辺図