八坂大神。鎌倉市扇ガ谷の神社

猫の足あとによる神奈川県寺社案内

八坂大神。相馬天王、扇ガ谷の鎮守、旧村社

八坂大神の概要

八坂大神は、建久3年(1192)千葉常胤の子相馬次郎師常が自宅の守護神として勧請したといい、相馬天王とも通称します。その後、浄光明寺裏山にある網引地蔵付近の岩窟へ、壽福寺本堂脇への移転を経て、当地へ移転しました。明治維新の神仏分離令により八坂大神と改称、明治6年には村社に列格していました。

八坂大神
八坂大神の概要
社号 八坂大神
祭神 素戔雄尊、桓武天皇、葛原親王、高望王
相殿 -
境内社 子神社
祭日 例祭日7月12日
住所 鎌倉市扇ガ谷1-13-45
備考 扇ガ谷の鎮守、旧村社



八坂大神の由緒

八坂大神は、建久3年(1192)千葉常胤の子相馬次郎師常が自宅の守護神として勧請したといい、相馬天王とも通称します。その後、浄光明寺裏山にある網引地蔵付近の岩窟へ、壽福寺本堂脇への移転を経て、当地へ移転しました。明治維新の神仏分離令により八坂大神と改称、明治6年には村社に列格していました。

境内掲示による八坂大神の由緒

建久3年相馬次郎師常、己が邸内に守護神として勧請して崇敬したのに始まる。その後現在の地に奉遷する。世に相馬天王と称するのはこの故である。
神幸式は5日12日の両日に行われていたが、今では12日のみとなった。中世御神幸の神輿荒ぶるを以て師常館の岩窟に納め、新たに調進したと傳へられる。独特の六角神輿は宗社である京都祇園八坂神社の形を伝承したものである。
享和元年、慶應元年に社殿の改築が行われた。
明治6年、村社に列格される。(境内掲示より)

新編相模国風土記稿による八坂大神の由緒

天王社
壽福寺の南にあり、村の鎮守とす。もとは相馬次郎師常が宅地の巽荒神(巽神社)の脇にあり、鎮守に勧請する所なり。故に相馬天王と号す。此所へ移せし年代を傳へず。土人傳へて当社の神霊あらたなるにより中古神輿を相馬次郎の墓(浄光明寺の邊にあり)の岩窟にこめ、前を石にて蓋ひ別に神輿を造ると云ふ。例祭6月5日より12日に至る。村持ちなり。(新編相模国風土記稿より)

神奈川県神社誌による八坂大神の由緒

建久三年(一一九二)相馬次郎師常が、自邸(巽荒神の脇)の守護神として勧請したが、後に網引地蔵の西の山農に遷され、更に壽福寺本堂の脇を経て現在地に奉遷された。世俗に「相馬天王」と称され、爾来、扇ケ谷の鎮守として崇敬される。享和元年(一八〇一)及び慶応元年(一八六五)に改築があり、明治二年神仏分離に際して、「八坂大神」と改称、同六年村社に列格した。
中世、御神幸の神輿荒ぶるを以て師常館の岩窟に納め、別に神輿を調進したと伝えられる。独特の六角神輿は、宗社たる京都・八坂神社のそれを伝承したものである。(神奈川県神社誌より)


八坂大神の周辺図