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蛭子神社。鎌倉市小町の神社、小町鎮守、旧村社

蛭子神社の概要

蛭子神社の創建年代は不詳ですが、本覚寺創建の以前より夷堂の横にあり、夷三郎社と称していたといいます。本覚寺創建の際に境内へ移転し、夷堂として、本覚寺の守護神、地域の氏神として崇敬されたといいます。明治維新後の神仏分離令により当地へ移転、本覚寺の七面大明神と、宝戒寺の守護神で北条一門の守護神であった山王大権現とを合祀して、蛭子神社と改称、明治6年には小町の鎮守として村社に列格していました。

蛭子神社
蛭子神社の概要
社号 蛭子神社
祭神 大己貴命
相殿 -
境内社 -
祭日 例祭日:8月15日に近い日曜日
住所 鎌倉市小町2-23-3
備考 小町鎮守、旧村社



蛭子神社の由緒

蛭子神社の創建年代は不詳ですが、本覚寺創建の以前より夷堂の横にあり、夷三郎社と称していたといいます。本覚寺創建の際に境内へ移転し、夷堂として、本覚寺の守護神、地域の氏神として崇敬されたといいます。明治維新後の神仏分離令により当地へ移転、本覚寺の七面大明神と、宝戒寺の守護神で北条一門の守護神であった山王大権現とを合祀して、蛭子神社と改称、明治6年には小町の鎮守として村社に列格していました。

境内掲示による蛭子神社の由緒

鎮守蛭子神社は出雲大社に鎮ります大国主神を御祭神として(里俗夷尊神)と称され、往古永享年間(凡五百余年前)日蓮宗本覚寺前夷堂端の傍に夷堂あり夷三郎社とも称され、同寺の守護神として、又付近住民の氏神様として崇敬されたが、明治維新に神仏分離によりこの地に鎮座し、同時に宝戒寺門前地区の氏神として、同寺境内に祀られし北条一門の守護神山王大権現をも之に合祀し、蛭子神社と称するに至った。
爾来百余年えびす様の愛称で福の神・むすびの神として信仰され遠近より善男善女の参詣多く神賑を極め今日に至った。
えびす様は、皆様おなじみの釣棹を手にし鯛を抱かれた福徳円満の神影をえがいて敬い親しみ産業福祉の道をお拓きになった。御神業の神として一般に福の神・縁結びの神・商売繁盛の神として信仰する者多く殊に近年は学びの神・交通安全の神として氏子を始め崇敬し参詣するもの日毎に増し、えびす様と私共の生活が「むすび」の御霊力即ち愛情によって人間は活かされており、そのことに感謝し、その愛情にふれさせて頂く努力をすることによって、明るい生活が出来るのであります。
私等の氏神として、永い歴史があって変わらない信仰と崇敬をおうけになっている尊い鎮守様であります。(境内掲示より)

神奈川県神社誌による蛭子神社の由緒

『新編鎌倉志』に「昔夷堂橋のほとりに夷三郎社ありしなり」とある。里人深く信仰していたが、永享年中(一四二九~一四四〇)今の本覚寺が創建されるに及び、同寺境内に遷され夷三郎社と称して山内の鎮守と仰がれた。明治維新の神仏分離により同寺の管理を離れ、現在の社地にあった下部落の鎮守七面大明神に合祀された。また宝戒寺内にあった上部落の鎮守山王権現も合祀して三社を合せ、社名を蛭子神社と改称した。
明治六年村社に列格されたのを記念して、明治七年八月社殿を新築した。本殿はそのとき鶴岡八幡宮末社今宮の社殿を譲り受け移築したものである。昭和九年拝殿を新築した。昭和十五年十月神饌幣帛料供進神社に指定された。小町区の氏神社である。(神奈川県神社誌より)


蛭子神社の周辺図


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