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葛原岡神社。鎌倉市梶原の神社、祭神日野俊基

葛原岡神社の概要

葛原岡神社は、明治天皇の思召により日野俊基を祭神として明治21年に創建しました。日野俊基は、鎌倉時代末期の朝臣で、後醍醐天皇に仕え、建武の中興に参画していましたが、元弘元年(1331)鎌倉幕府に捕えられ、翌年当地で処刑されました。辞世の句:秋を待たで葛原岡に消ゆる身の 露のうらみや世に残るらん。

葛原岡神社
葛原岡神社の概要
社号 葛原岡神社
祭神 日野(藤原)俊基卿
相殿 -
摂社祭神 報徳豆大黒天、福福恵比寿神
祭日 例大祭:6月3日(命日)、宵宮祭:お渡り神事6月3日に近い土曜日(由比ガ浜)
住所 鎌倉市梶原5-9-1
備考 官幣中社



葛原岡神社の由緒

葛原岡神社は、明治天皇の思召により日野俊基を祭神として明治21年に創建しました。日野俊基は、鎌倉時代末期の朝臣で、後醍醐天皇に仕え、建武の中興に参画していましたが、元弘元年(1331)鎌倉幕府に捕えられ、翌年当地で処刑されました。辞世の句:秋を待たで葛原岡に消ゆる身の 露のうらみや世に残るらん。

境内掲示による葛原岡神社の由緒

鎌倉幕府の執政を北條氏から後醍醐天皇の親政にしようとして幕府に捕えられ元弘2年(1332)この葛原岡にて露と消えられた。
太平記、俊基朝臣再び関東下向の事に名文が綴られている。
辞世の句
秋を待たで葛原岡に消ゆる身の 露のうらみや世に残るらん
古来一句無死無生萬里雲盡長江水清(境内掲示より)

境内石碑による葛原岡神社の由緒

葛原岡神社 鎌倉市山ノ内東瓜ヶ谷
本社祭神 日野俊基朝臣 文章博士従三位蔵人右少辨
建武の中興A.D.1333年(元弘3年)を計画し、不幸にも1331年鎌倉幕府の北条高時に捉えられ、其の完成に会はず中途で悲愴な最期をこの葛原が岡で遂げられた忠臣である。
社殿は明治天皇の思召により、地元有志の方々の骨折で、全国の崇敬者の協力を得て、明治21年に創建された。
例大祭は、御命日の6月3日、神前祭・墓前祭が行われる。この6月3日に近い土曜日に氏子地域になっている由比ガ浜で、宵宮祭が行はれ、日曜日には、大神輿、子供神輿が氏子区域を巡るお渡り神事が行われる。
御祭神は学業成就、除災招福、交通安全などの神として崇められて居る。
摂社祭神:報徳豆大黒天、福福恵比寿神(境内石碑より)

神奈川県神社誌による葛原岡神社の由緒

明治二十年、明治天皇の思召しにより、日野俊基卿の終焉の地に神社が設立された。元無格社、由比ケ浜区の氏神社である。境内に宝篋印塔があり、俊基卿の基(国指定史跡)とされている。(単位神社)(神奈川県神社誌より)


葛原岡神社所蔵の文化財

  • 日野俊基墓(国史跡)

国史跡日野俊基墓

日野俊基は鎌倉時代末期の朝臣後醍醐天皇につかえ倒幕計画に参加した。
正中の変(1324)に捕えられ許されたが、元弘の乱(1331)の時再び捕えられ、鎌倉に送られて、翌年ここ葛原岡で処刑された。(鎌倉市教育委員会掲示より)


葛原岡神社の周辺図


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