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報恩寺。綾瀬市寺尾南にある曹洞宗寺院

報恩寺の概要

曹洞宗寺院の報恩寺は、陽広山と号します。報恩寺は、朝岩存夙大和尚(元和4年1618寂)が開山、後藤右近(法名心宗永伝居士)が開基となり、慶長7年(1601)創建、開山朝岩存夙大和尚は本寺藤沢宝泉寺六世であり、二世悦堂存怡大和尚は宝泉寺七世であることから、三世林室宗茂大和尚が初世・二世を勧請しての開山といいます。慶安二年(1649)寺領八石の御朱印状を拝領、近隣に末寺を擁する小本寺格の寺院でした。

報恩寺
報恩寺の概要
山号 陽広山
院号 -
寺号 報恩寺
本尊 釈迦牟尼仏
住所 綾瀬市寺尾南2-10-1
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



報恩寺の縁起

報恩寺は、朝岩存夙大和尚(元和4年1618寂)が開山、後藤右近(法名心宗永伝居士)が開基となり、慶長7年(1601)創建、開山朝岩存夙大和尚は本寺藤沢宝泉寺六世であり、二世悦堂存怡大和尚は宝泉寺七世であることから、三世林室宗茂大和尚が初世・二世を勧請しての開山といいます。慶安二年(1649)寺領八石の御朱印状を拝領、近隣に末寺を擁する小本寺格の寺院でした。

新編相模国風土記稿による報恩寺の縁起

(寺尾村)報恩寺
陽廣山と号す。曹洞宗遠藤村宝泉寺末、本尊釈迦、開山僧嘲岩元和四年十月十五日卒。開基後藤右近某、法名心宗英傳。慶安二年寺領八石の御朱印を賜ふ。
鐘楼。鐘は正徳二年造る、
金毘羅社。(新編相模国風土記稿より)

境内掲示による報恩寺の縁起

報恩寺は、慶長七年(1601)八月二十八日曹洞宗の寺院として開山された。御開山は朝岩存夙大和尚(1618卒)、開基は後藤右近、心宗永伝居士である。
御開山は、本寺、藤沢の宝泉寺の六世であり、二世悦堂存怡大和尚は宝泉寺七世である。三世林室宗茂大和尚(1648卒)は末寺、大和の宗昌寺、寺尾の常久院の開山であるが、報恩寺の開山は、小田原北条氏の家臣であったとも伝えられるので、師匠と、その師匠を勧請開山とし、実際には報恩寺を開いたが、三世になられたと思われる。
四世廓山怡舜大和尚(1650卒)の年代、慶安二年(1649)御朱印八石を賜り、境内坪数一万八千坪(現在八千四百坪)、本堂七間X十一間、そう建坪二百十五坪であった。
十三世雪子玄肇大和尚(1752卒)は、金毘羅大権現(南側の御堂)を勧請された。寺尾の金毘羅様は有名で小園には、今も金毘羅道が残っている。
早朝一人で滝の前に座禅中、滝の中に観音様を拝する事ができ、「観音様がついていてくださるから、敵の弾に当たる事がない。」と感じられた。激戦で戦友達が多く戦死する中で、無事に帰還出来得たので、この有難い観音様をひとりでも多くの方に拝んで頂こうと、観音石像を刻み境内に安置し、観音像を描いて、沢山の人に差し上げたので、「おたすけ観音」として、第二次大戦中は、県内を始め東京等から参拝の人達が相続いた。
昭和十六年厚木基地の新設に伴い、寥川に在った観音堂(南西のお堂)が移築された。五代将軍綱吉の生母、桂昌院の位牌が祀られている。堂前の「圓通閣」と書かれた額は、地頭佐野義行(徳川家の祐筆-書記)の書である。
八百年前源頼朝が、旗揚げしたとき、功績があった渋谷重国が、早川に住んでいたが、その孫の孫、寺尾重名が、この地に住んでいた頃、法音寺があり、約二百年続いたものと、考えられる。(境内掲示より)

寥川に在った観音堂(南西のお堂)について

(寥川村)観音堂
正観音を安ず、長三尺住吉作。観音寺の号あり。深見村佛導寺持。堂中に桂昌院殿の御位牌を安ぜり、こは江戸増上寺にありし僧了無と云もの当村に来りて此堂に住す。其姉は桂昌院殿に奉仕し、恩遇を蒙りしゆゑ彼僧御菩提の為に尊牌を安置すと云ふ。今地頭佐野氏より茶湯料の地を寄附あり。(新編相模国風土記稿より)


報恩寺の周辺図


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