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有鹿神社。海老名市上郷の神社

有鹿神社の概要

有鹿神社は、海老名市上郷にある神社です。有鹿神社の創建年代は不詳ですが、古縁起よると天平勝宝6年(754)には藤原廣政が神祠を補修、その翌々年には墾田五百町歩を寄進したとの記録がある他、日本三代実録にには貞観11年(869)に 従五位上を授けられたといい、延喜式にも高座郡小社五座の一つとして記載された古社です。江戸時代には海老名郷五村の総鎮守社となっていた他、明治時代には郷社に列格していました。

有鹿神社
有鹿神社の概要
社号 有鹿神社
祭神 大日靈貴命、有鹿比古命、有鹿比女命
相殿 -
境内社 有鹿天神社
祭日 -
住所 海老名市上郷1-4-41
備考 国幣小社、延喜式内小社、郷社



有鹿神社の由緒

有鹿神社の創建年代は不詳ですが、古縁起よると天平勝宝6年(754)には藤原廣政が神祠を補修、その翌々年には墾田五百町歩を寄進したとの記録がある他、日本三代実録にには貞観11年(869)に 従五位上を授けられたといい、延喜式にも高座郡小社五座の一つとして記載された古社です。江戸時代には海老名郷五村の総鎮守社となっていた他、明治時代には郷社に列格していました。

新編相模風土記稿による有鹿神社の由緒

(河原口村)有鹿(阿利加)神社
式内郡中小社五座の一なり、延喜式神名帳に高座郡小五座、有鹿神社と見ゆ、鎮座の年代を傳へず、清和帝の御卯貞観十一年十一月神階を従五位上に進めらる。三代実録曰、貞観十一年一月十九日壬申、授相模國従五位下有鹿神社従五位上。社蔵に永和の古縁起、天正の続縁起あり、共に其頃の物とは見えず、古縁起に祭神は大日靈なり、天平勝寳六年八月郷士藤原廣政と云者、夢兆に因て神祠を修整す、同八年九月墾田五百町を、神供料に充られし由を載す、続縁起にに天正三年四月別當総持院現住慶雄夢中に神靈の告ありて、神祠の東北池中に於て、石一顆を(不冠に見)得たり、此を神体と崇奉すと云。社内にあり、淡黒色にして高五寸周回九寸あり。今海老名郷五村の総鎮守なり、祭礼年々四月八日神輿を曳て、村北磯部村内勝坂二里を隔つ、と云所に到る。此地に洞あり、有鹿谷と呼ぶ、爰に神輿を駐て神事を修し六月十四日帰座するを例とす、別當は総持院なり。
鐘楼。元禄二年再鋳の鐘を掛く、応永二十四年の古鐘ありしが、破裂すと云ふ。
末社。諏訪、稲荷、山王合社。
碑。門前に立つ、當國十三座之内有鹿神社と彫る。(新編相模風土記稿より)

境内掲示による有鹿神社の由緒

有鹿谷の泉は、縄文の水神信仰の対象。泉落ちる鳩川に沿い、海老名の大地が成り、農耕の豊穣と安全を祈り、水引祭が起こり、創建。霊験あらたかで、奈良・平安の頃、相模国府の崇敬篤く、天智天皇三年(664)に祭礼、天平勝宝八年(756)墾田五百町歩の寄進、貞観十一年(869)、従五位上に昇階との記録。室町の大乱により、美麗な社殿と広大な境内を喪失。その後、再建成り今日に至る。(境内掲示より)


有鹿神社所蔵の文化財

  • 本殿および拝殿天井龍の絵図(海老名市重要文化財)

有鹿神社の周辺図


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