吉岡神明社。綾瀬市吉岡の神社

猫の足あとによる神奈川県寺社案内

吉岡神明社。元和2年春日局が伊勢神明天照太神宮を勧請

吉岡神明社の概要

吉岡神明社は、綾瀬市吉岡にある神社です。吉岡神明社は、小島左衛門尉源忠重が当地土着に際して康和4年(1102)に勧請したとも、元和2年(1616)春日局が伊勢神明天照太神宮を勧請して創建したともいい、いずれか確かか不詳ながら、江戸期には吉岡村の鎮守社であったといいます。

神明社
神明社の概要
社号 神明社
祭神 天照大神
相殿 豊受大神
境内社 琴平神社、稲荷社、弁財天社
祭日 9月16日
住所 綾瀬市吉岡1808
備考 -



吉岡神明社の由緒

吉岡神明社は、小島左衛門尉源忠重が当地土着に際して康和4年(1102)に勧請したとも、元和2年(1616)春日局が伊勢神明天照太神宮を勧請して創建したともいい、いずれか確かか不詳ながら、江戸期には吉岡村の鎮守社であったといいます。

新編相模国風土記稿による吉岡神明社の由緒

(吉岡村)神明社
村の鎮守とす。元和二年春日局の勧請、棟札の文に伊勢神明天照太神宮、元和二丙辰念十月吉日、大願主春日殿勧請壽寶院と記す。本地大日の像を置例祭年々九月十五・十六日。
末社。稲荷、天神、金毘羅、弁財天。
別当瀧岡寺
龍剣山と号す。古は壽寶院と云り。当山派修験醍醐三宝院末、本尊不動、開山賢祐明応二年三月十五日卒。(新編相模国風土記稿より)

神奈川県神社誌による吉岡神明社の由緒

第五十六代清和天皇の皇子で、貞純親王の子孫である小島左衛門尉源忠重が、相模国高倉郡吉岡村を住いと定めて、康和四年(一一〇二)九月六日に神鏡霊現に依って当社を勧請したと伝える。元和二年(一六二八)に春日局が勧請されたと記された棟札もある。(神奈川県神社誌より)

綾瀬市教育委員会掲示による吉岡神明社の由緒

神明社は、天照大神、豊受大神が祀られています。社殿は本殿、覆殿、拝殿、及び幣殿で、他に社務所と神楽殿があり、境内社に琴平神社、稲荷社、弁財天社があります。
元和二年(1616)に、三代将軍徳川家光の乳母であるお福(春日局)が勧請したとされる棟札が残されています。
昔は当社の付近に瀧岡寺(壽寶院)という別当寺がありました。(綾瀬市教育委員会掲示より)


吉岡神明社の周辺図