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清涼寺|板橋区赤塚にある真言宗智山派寺院

清涼寺の概要

真言宗智山派寺院の清涼寺は、石成山と号します。清涼寺は、開山は宥長(寛仁3年1019年歿)とされ、境内には宥長和尚の墓碑、良久和尚の墓碑(寛仁元年1017没)があることから、1000年頃の創建と推定されます。成増の旧地名石成を山号に持ち、江戸時代には三宝寺末、上赤塚氷川神社(現赤塚4丁目)の別当寺を勤めていました。明治初期には石成小学校が当地に開校、また豊島八十八ヶ所霊場51番札所でした。

清涼寺
清涼寺の概要
山号 石成山
院号 -
寺号 清涼寺
住所 板橋区赤塚4-8-3
本尊 不動明王
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 檀家の方のみ
備考 豊島八十八ヶ所霊場51番札所、上赤塚氷川神社の旧別当



清涼寺の縁起

清涼寺は、開山は宥長(寛仁3年1019年歿)とされ、境内には宥長和尚の墓碑、良久和尚の墓碑(寛仁元年1017没)があることから、1000年頃の創建と推定されます。成増の旧地名石成を山号に持ち、江戸時代には三宝寺末、上赤塚氷川神社(現赤塚4丁目)の別当寺を勤めていました。明治初期には石成小学校が当地に開校され、現在に至ります。

板橋区教育委員会掲示による清涼寺の縁起

当山は真言宗智山派に属し、石成山清涼寺と号し、ご本尊は不動明王です。 山号にある石成とは成増の旧名で、南北朝期から江戸時代前期にかけての文書や碑文にも使われている地名です。 当寺は江戸時代に編纂された新編武蔵風土記稿に「開山は宥長と云う」と記載されており、寛仁3年(1019)に没した宥長和尚の墓碑が存在しています。 中世の状況は墓碑もなくよくわかりませんが、元禄年間(1688-1704)より再び僧侶の墓碑が見られるようになり、江戸時代には三宝寺(練馬区石神井)の末寺となっていました。 また、当寺は江戸時代より明治の神仏分離まで上赤塚氷川神社(現赤塚4丁目)の別当寺でもありました。 明治9年(1876)、ここに石成小学校が開校し、翌年に公立の小学校となりましたが、明治24年赤塚尋常小学校の新設に伴い廃校となりました。境内には当時の校長佐野蔵吉先生の頌徳碑があります。

いたばしの寺院による清涼寺の縁起

新編武蔵風土記稿には開山宥長とある。境内にその墓碑があるが後世のものらしい(寛仁3年)。良久(寛仁元年没-1017)の墓碑もある。当時のものか否かは考証の余地があろうが、銘記からすれば区内最古の碑である。このことから、寺の創設は相当に古いものと推定される。本寺の山号「石成山」は成増村の元禄以前の古名である。江戸時代には上赤塚村氷川神社の別当寺であった。明治初年の神仏分離により一時衰微し無住となっていた。明治10年4月4日、本堂を仮用して第4中学区第14番小学石成学校が開設された。明治30年に先住円染和尚の着任により諸施設の経営成り寺の面目を一新した。 昭和16年1月、三宝寺より離末し、同16年12月、京都智積院の直末となる。境内には石成学校先師佐野先生の顕彰碑が建てられてある。(いたばしの寺院より)


清涼寺の周辺図


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