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最勝寺|江戸川区平井にある天台宗寺院

最勝寺の概要

天台宗寺院の最勝寺は、牛宝山明王院と号します。最勝寺は、慈覚大師が貞観2年(860)隅田河畔に一寺を建立して創建、良本阿闍梨が中興、明治維新まで牛島神社の別当を務めていたといいます。大正2年に本所表町(墨田区)から移転したといいます。江戸川区登録有形文化財の木造不動明王坐像は、もと本所表町にあった最勝寺の末寺東栄寺の本尊で、江戸五色不動のひとつ「目黄不動」で知られ、関東三十六不動19番となってています。また墓域には、江戸落語を定着させた烏亭焉馬の墓があります。

最勝寺
最勝寺の概要
山号 牛宝山
院号 明王院
寺号 最勝寺
住所 江戸川区平井1-25-32
宗派 天台宗
葬儀・墓地 -
備考 関東三十六不動江戸五色不動の目黄不動



最勝寺の縁起

最勝寺は、慈覚大師が貞観2年(860)隅田河畔に一寺を建立して創建、良本阿闍梨が中興、明治維新まで牛島神社の別当を務めていたといいます。大正2年に本所表町(墨田区)から移転したといいます。

「江戸川区史」による最勝寺の縁起

最勝寺(平井一丁目二五番三二号)
天台宗で牛宝山明王院と号し延暦寺を総本山とする。もとは本所表町(東駒形)にあったが大正二年現在地に移転した。開山は慈覚大師で貞観二年(八六〇)東国巡錫のみぎり隅田河畔に一寺を建立したのが始まりで、後に良本阿闍梨が中興した。江戸時代になってから本所に移転し、明治維新にいたるまで牛島神社(墨田区)の別当をつとめた由緒ある古刹である。
内陣は鉄筋で大金庫式に造られて釈迦如来をまつり、別室の不動堂には不動明王と大日如来を安置する。この不動明王は府内五色不動の一つである「目黄不動」として知られている。また大日如来立像はもと牛島神社の本地仏としてまつられていたが、明治維新にいたり神仏分離の時この寺に移された。
本所にあった頃は三重建築の仁王門があり朱塗りの色が美しく俗に「赤門寺」と称されていたが老朽のため取りこわし、現在は石柱の門前に仁王尊だけが安置されている。
寺宝として渡来仏の毘沙門天像、大般若経六百巻、法華経などがあり、墓地には鳥亭焉馬(戯作者)、富田木歩(俳人)の墓及び柔道家徳三宝夫妻の墓と頌徳碑がある。(「江戸川区史」より)

「江戸川区の文化財」による最勝寺の縁起

最勝寺は、目黄不動で有名である。天台宗で牛宝山明王院と号し、もとは本所(墨田区)表町にあって牛島神社の別当であったが、大正2年(1913)区画整理のため当地に移転した。
開山は慈覚大師で貞観2年(860)隅田河畔に一寺を建立したのが始まりで、後に良本阿闍梨が中興した。
本堂の内陣は鉄筋で大金庫式に造られ、その中に本尊釈迦如来を安置する。
別堂の不動堂には不動明王と大日如来を安置する。(江戸川区の文化財より)

「本所區史」による最勝寺の縁起

最勝寺は表町六十五番地に在り牛寶山と號し明王院と稱した。天台宗で浅草寺の末である。元慶元年慈覺大師の高弟僧良本の開設する所といふ。もと向島須崎牛島神社の別當であつた。本尊釋迦如来は慈覺大師の作にして境内に鎮座せる不動尊は府下五色不動の一なる目黄不動である。此不動尊はもと末寺東榮寺に在つたが、同寺廢するに及んでここに移した。其の他昔日牛御前の本尊であつた大日像及び大黒の像があり、寛永の頃将軍家光公境内に休憩の假殿を造つたことがあつたので御殿山と唱へ大樹があつた。大正の初め南葛飾郡下平井に移轉した。(「本所區史」より)


最勝寺所蔵の文化財

  • 木造不動明王坐像(江戸川区登録有形文化財)

木造不動明王坐像

別堂の不動堂にまつられている不動明王は「目黄不動尊」として昔から江戸五色不動の一つとして知られている。この不動尊は名僧良弁の作と伝えられている。特に三代将軍家光の崇拝が厚く、「目黄不動」となづけて江戸五色不動(目白、目黒、目赤、目青、目黄)の一つに数えられたという由緒深いものである。(江戸川区の文化財より)

最勝寺の周辺図