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茂呂香取神社|江戸川区東葛西にある神社、旧長島村鎮守、旧称茂呂神社

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茂呂香取神社の概要

茂呂香取神社は、江戸川区東葛西にある香取神社です。茂呂香取神社の創建年代は不詳ですが、もと別当寺の自性院が神宮寺と号し、中興した良範法印が文亀元年(1501年)に没していることから、長島村の開村した中世に創建したものと推定できます。当初茂呂神社と称し、長島村の鎮守として崇敬を集めていました。明治41年には旧長島・桑川両村の山玉参拝講の人たちが境内に富士塚を建立、昭和26年には旧長島村西部にあった八雲神社を境内に遷座しています。

茂呂香取神社拝殿
茂呂香取神社の概要
社号 香取神社
祭神 経津主命
相殿 -
境内社 八雲神社、諏訪神社
祭日 例大祭10月29日
住所 江戸川区東葛西7-17
備考 旧長島村鎮守



茂呂香取神社の由緒

茂呂香取神社の創建年代は不詳ですが、もと別当寺の自性院が神宮寺と号し、中興した良範法印が文亀元年(1501年)に没していることから、長島村の開村した中世に創建したものと推定できます。当初茂呂神社と称し、長島村の鎮守として崇敬を集めていました。明治41年には旧長島・桑川両村の山玉参拝講の人たちが境内に富士塚を建立、昭和26年には旧長島村西部にあった八雲神社を境内に遷座しています。

新編武蔵風土記稿による茂呂香取神社の由緒

茂呂神社
村内の鎮守とす。祭神香取太神宮なり。茂呂と号せる謂を傳へず。本地佛十一面観音を安ず。自性院持。
末社。龍神宮、三峯権現、金比羅(新編武蔵風土記稿より)

江戸川区教育委員会掲示による茂呂香取神社の由緒

香取神社
旧名茂呂神社といい、旧長島村の鎮守でした。別当の自性院が文久年間(1861-1864)に火災にあい、古記録を焼失したので詳細は不明ですが、400年以上前の古社といわれています。祭神は経津主命で下総の香取神宮から分神されたものです。本殿と拝殿の彫刻は手のこんだ立派なものです。
拝殿の東側にある八雲神社はもと同村の西部地区に祀られていましたが、昭和26年(1951)にここに移されました。
境内には大正元年(1912)に建立された「乾海苔創業記念碑」があります。(江戸川区教育委員会掲示より)

「江戸川区の文化財」による茂呂香取神社の由緒

旧名を茂呂神社といい、旧長島村の鎮守であった。別当の自性院が文久年間(1861-1864)に火災にあった時に、古記録を焼失したので詳細は不明になった。祭神は経津主命で、拝殿と本殿の彫刻は見事である。同社に並んである八雲神社は、もと同村の西部地区にまつられていたが、昭和26年この地に移したもの。
乾海苔創業記念碑
大正元年(1912)建立されたもので、長島村で行われた乾海苔創業の経過とその功労者名が刻まれている。高さ335cm、幅160cm、厚さ180cmの大型のものである。
富士塚
境内に富士塚があり、講碑や力石などがならべられている。(「江戸川区の文化財」より)

茂呂香取神社所蔵の文化財

  • 長島の富士塚(区登録有形民俗文化財)

長島の富士塚

富士塚は、富士信仰の団体である富士講の人たちが、富士山の容姿をかたちどって築きあげた小高い塚です。富士山に登ったのと同じ霊験が得られるようにと願って築かれました。
長島の富士塚は、旧長島・桑川両村の山玉参拝講の人たちが、明治41年(1908)に造りました。現在の塚は大正6年(1917)に再築されたものです。塚の南側には「御山築設之由来」と刻まれた碑が建てられ、由来と二百名以上の講員がいたことが記されています。
塚の高さは約四メートルで、区内の富士塚の中では規模が大きいほうです。頂上には「浅間神社」と刻まれた石碑(明治41年銘)があり、上部はボク石(溶岩)、下部は丸い自然石で囲まれています。今でも、7月1日の山開きと、8月26日のかがり火たきの行事が行われています。(江戸川区教育委員会掲示より)

茂呂香取神社の周辺図


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