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茂呂香取神社|江戸川区東葛西の神社、旧長島村鎮守、旧称茂呂神社

茂呂香取神社の概要

茂呂香取神社は、江戸川区東葛西にある香取神社です。茂呂香取神社の創建年代は不詳ですが、もと別当寺の自性院が神宮寺と号し、中興した良範法印が文亀元年(1501年)に没していることから、長島村の開村した中世に創建したものと推定できます。当初茂呂神社と称し、長島村の鎮守として崇敬を集めていました。明治41年には旧長島・桑川両村の山玉参拝講の人たちが境内に富士塚を建立、昭和26年には旧長島村西部にあった八雲神社を境内に遷座しています。

茂呂香取神社
茂呂香取神社の概要
社号 香取神社
祭神 経津主命
相殿 -
境内社 八雲神社、諏訪神社、浅間神社
祭日 例大祭10月29日
住所 江戸川区東葛西2-34-20
備考 旧長島村鎮守



茂呂香取神社の由緒

茂呂香取神社の創建年代は不詳ですが、もと別当寺の自性院が神宮寺と号し、中興した良範法印が文亀元年(1501年)に没していることから、長島村の開村した中世に創建したものと推定できます。当初茂呂神社と称し、長島村の鎮守として崇敬を集めていました。明治41年には旧長島・桑川両村の山玉参拝講の人たちが境内に富士塚を建立、昭和26年には旧長島村西部にあった八雲神社を境内に遷座しています。

新編武蔵風土記稿による茂呂香取神社の由緒

茂呂神社
村内の鎮守とす。祭神香取太神宮なり。茂呂と号せる謂を傳へず。本地佛十一面観音を安ず。自性院持。
末社。龍神宮、三峯権現、金比羅(新編武蔵風土記稿より)

江戸川区教育委員会掲示による茂呂香取神社の由緒

香取神社
旧名茂呂神社といい、旧長島村の鎮守でした。別当の自性院が文久年間(1861-1864)に火災にあい、古記録を焼失したので詳細は不明ですが、400年以上前の古社といわれています。祭神は経津主命で下総の香取神宮から分神されたものです。本殿と拝殿の彫刻は手のこんだ立派なものです。
拝殿の東側にある八雲神社はもと同村の西部地区に祀られていましたが、昭和26年(1951)にここに移されました。
境内には大正元年(1912)に建立された「乾海苔創業記念碑」があります。(江戸川区教育委員会掲示より)

「江戸川区史」による茂呂香取神社の由緒

香取神社(長島町一七一番地)
四〇〇年以前の古社といわれるが、別当自性院が文久年間の火災で古記録を焼失したので詳細は明らかでない。もとは茂呂神社といって旧長島村の鎮守で村社であった。祭神は経津主命で下総の香取神宮から分神を勧請した。拝殿および本殿の彫刻は手のこんだ立派なものである。同社と並んでいる八雲神社はもと西部地区にまつられていたが、東西融和のため昭和二十六年ここに移された。
境内に大正元年建立の「乾海苔創業記念碑」があり、富士塚には講碑や多くの力石が並んでいる。天祖神社の小祠は寛延元年正円寺十三世法印信仰師の建立で、昭和四十二年ここに移された。(「江戸川区史」より)


茂呂香取神社所蔵の文化財

  • 長島の富士塚(区登録有形民俗文化財)

長島の富士塚

富士塚は、富士信仰の団体である富士講の人たちが、富士山の容姿をかたちどって築きあげた小高い塚です。富士山に登ったのと同じ霊験が得られるようにと願って築かれました。
長島の富士塚は、旧長島・桑川両村の山玉参拝講の人たちが、明治41年(1908)に造りました。現在の塚は大正6年(1917)に再築されたものです。塚の南側には「御山築設之由来」と刻まれた碑が建てられ、由来と二百名以上の講員がいたことが記されています。
塚の高さは約四メートルで、区内の富士塚の中では規模が大きいほうです。頂上には「浅間神社」と刻まれた石碑(明治41年銘)があり、上部はボク石(溶岩)、下部は丸い自然石で囲まれています。今でも、7月1日の山開きと、8月26日のかがり火たきの行事が行われています。(江戸川区教育委員会掲示より)

茂呂香取神社の周辺図