住吉神社|中央区佃の神社
住吉神社の概要
住吉神社は、天正18年(1590)家康公が関東下降の際、家康公の命により摂津国佃の漁夫33人と住吉の社(田蓑神社)の神職平岡大夫の弟、権大夫好次が分神霊を奉戴して江戸にくだり、正保2年に佃島を竣工し、住吉明神の社地を定めて、正保3年(1646)6月29日、住吉三神、神功皇后、徳川家康公の御霊を奉遷祭祀し、創建されました。下町八社巡りの一社です
| 社号 | 住吉神社 |
|---|---|
| 祭神 | 底筒之男命、中筒之男命、表筒之男命(住吉三神)、息長足姫命(神功皇后)、東照御親命(徳川家康) |
| 相殿 | - |
| 境内社 | 入船稲荷神社、疫神社、疱瘡神社、船魂神社、龍神社 |
| 住所 | 中央区佃1-1-15 |
| 祭日 | 例大祭8月6日、3月下旬さくら祭り |
| 備考 | - |
住吉神社の由緒
住吉神社は、天正18年(1590)家康公が関東下降の際、家康公の命により摂津国佃の漁夫33人と住吉の社(田蓑神社)の神職平岡大夫の弟、権大夫好次が分神霊を奉戴して江戸にくだり、正保2年に佃島を竣工し、住吉明神の社地を定めて、正保3年(1646)6月29日、住吉三神、神功皇后、徳川家康公の御霊を奉遷祭祀し、創建されました。
「西の海阿波伎の原の潮路より顕われ出でし住之江の神」と卜部兼直の和歌にあるように住吉大神は、遠き神代の昔、筑紫の日向の橘の小戸の阿波伎原に於いて顕れた伊邪那岐大神の御子、底筒之男命、中筒之男命、表筒之男命の3柱の神です。
神功皇后三韓征伐の際、皇后自ら御親祭をなさり住吉三神の御加護により無事達成なさりました。その帰途、摂津国西成郡田蓑島(大阪佃)にお寄りになり住吉三神を遥拝になりました。これが大阪佃の住吉の社(田蓑神社)の起源です。
遥か後、天正年間に徳川家康公が摂津の多田の廟に参詣の時、田蓑島(大阪佃)の漁夫達が漁船をもって神崎川の渡船を勤めた由縁で家康公がこの島の住吉の社(田蓑神社)にも参詣し、家康公の漁業の傍ら田も作れとの事で、村名を田蓑から佃に改めさせました。そして田蓑の名を残すため社名を住吉神社から田蓑神社に改めました。
天正18年(1590)家康公が関東下降の際、家康公の命により摂津国佃の漁夫33人と住吉の社(田蓑神社)の神職平岡大夫の弟、権大夫好次が分神霊を奉戴して江戸にくだり、寛永年間に幕府より鉄砲洲向かいの干潟を賜り、築島工事を起こし、正保2年に竣工し、元の名から佃島と名付け、住吉明神の社地を定めて、正保3年(1646)6月29日、住吉三神、神功皇后、徳川家康公の御霊を奉遷祭祀しました。これが佃住吉神社の起こりです。
佃島は江戸湊の入り口に位置し、海運業、各問屋組合をはじめ多くの人々から海上安全、渡航安全の守護神として信仰を集めました。
その後、月島、勝どき、豊海、晴海と埋め立てが行われ、その地域の産土神(氏神)として信仰されています。(住吉神社境内由緒より)
住吉神社にある中央区民登録文化財
- 住吉神社水盤舎
- 陶製住吉神社扁額
- 住吉神社大祭の獅子頭宮出し
- 龍虎の獅子頭
- 黒駒の獅子頭
- 板絵着色蘭陵王図額
- 住吉神社文書
- 住吉神社神輿
住吉神社の水盤舎と陶製扁額
住吉神社は江戸初期に、摂津国西成郡(大阪市)佃村の漁民が江戸に移住した後、正保3年(1646)に現在地に創建された佃島の鎮守です。
当社は、創建以来、佃島の鎮護のみならず、水運関係の人々から厚い信仰を受けてにぎわいました。
水盤舎は欅材の切妻造、瓦葺きの建物です。明治2年(1869)に再建され、同44年に改築されました。水盤舎の欄間の正面には、明治2年再建時のものを使ったと推定されています。欄間の正面には石川島の灯台と佃の渡し、側面には帆をはった回船や網をうつ小舟、背面には磯の景色、また内側にも潮干狩など、佃島の風景が彫られています。石造の水盤には「天保12年(1841)白子組」と見え、木綿問屋組合が寄進したものです。
正面鳥居の上にある扁額は、珍しい陶製で、白地に呉須で額字や雲文を染付けています。明治15年6月に制作され、額字の筆者は有栖川宮幟仁親王です。
水盤舎と陶製扁額は、共に中央区民有形文化財に登録されています。
住吉神社の周辺図
大きな地図で見る

住吉神社鳥居
住吉神社神楽殿
五世川柳水谷緑亭句碑
住吉神社の水盤舎と陶製扁額
入船稲荷神社
疫神社と疱瘡神社
船魂神社
龍神社