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日枝神社日本橋摂社|中央区日本橋茅場町の神社、山王日枝神社の摂社

日枝神社日本橋摂社の概要

日枝神社日本橋摂社は、中央区日本橋茅場町にある神社で、山王日枝神社の摂社です。日枝神社日本橋摂社は、寛永年間(1624-1645)に当地を山王日枝神社の御旅所と定められ遥拝所が設けられたといいます。

日枝神社日本橋摂社
日枝神社日本橋摂社の概要
社号 日枝神社日本橋摂社
祭神 大山咋神
相殿 浅間大神、菅原大神、稲荷大神
境内社 -
住所 中央区日本橋茅場町1-6-16
備考 -



日枝神社日本橋摂社の由緒

日枝神社日本橋摂社は、寛永年間(1624-1645)に当地を山王日枝神社の御旅所と定められ遥拝所が設けられたといいます。山王日枝神社の摂社です。

東京名所図会による日枝神社日本橋摂社の由緒

日枝神社御旅所
日枝神社御旅所は、南茅場町三十三番地に在り、薬師堂に隣す。隔年六月十五日、麹町永田町の本社より、神輿三基、神幸あるなり、其の由来は、江戸名所圖會記する所詳細なれば、左に之を掲げむとす。
永田馬場山王御旅所、茅場町にあり、遥拝の社二宇並ひ建り、寛永年間此地を御旅所に定めらるるといへり。(一宇は神主樹下氏持なり、一宇は別當観理院持なり。)隔年六月十五日御祭禮にて、永田馬場の御本社より神輿三基此所に神幸あり、假に神殿を儲け、供御を献備し、別當は法楽を捧げ、神主は奉幣の式を行ひ、夜に入て歸輿なり。其行装、榊、大幣、菅蓋、錦蓋、雲の如く、社司社僧は騎馬に跨り、或は輿に乗し、前後に扈従す、諸侯よりは神馬長柄鎗等を出されて、途中の供奉厳重なり、又氏子の町よりは、思ひ思ひに練物あるひは花屋臺、車楽等に、錦爛純子抔のまん幕を打はへ、各其出立花やかに、羅綾の袂、錦織の裔をひるかへし、粧ひ巍々堂々として善美を盡せり、此日官府の御沙汰として、神輿通行の御道筋は、横の小路々々には矢来を結はしめて、往来を禁せらる、實に大江戸第一の大祀にして、一時の壮観たり。」
同書に、境内の圖及神輿神幸の圖を載せたり、縮寫して掲出したれば、就て見るべし。
日枝神社の由来及祭典の景況等は、第九編に詳述したれば、再びここに載せず。神幸の日は、氏子の町々、花車、屋臺に、楽を奏して練り出る、行装の善美を盡せる壮観、東京府下第一の祭典なり。
遥拝の社二宇並び建ていrと、江戸名所圖會にいへど、そは兩部の頃とて、かくありしならむ、今は一宇なり。又近年漸く破損したるを以て、不日改築する所あらむといへり。
末社。
天満宮。
天満宮は、本社の後、数十歩の地に祠あり。菅原道真を祀れり。江戸砂子云、菅神親筆の聖像と云、社家諸井帯刀所持。」江戸名所圖會云、神像は書幅にして、寛永年間、柳營に奉仕の春日局、大樹より拝受せられしを、山王の神主日吉左京進へ附與あり、其後諸井氏請得て、ここに勧請なし奉るとなり。」毎月二十五日祭典を營む。
翁稲荷社と桂馬稲荷社
二社合殿にして、天満宮に接して祠あり。
浅間神社。
本社の右側に在り、鳥居に三國第一座と題せる額面あり。丘上に小祠を安置す。文政年間、岩石を堆積して築く所。東都歳時記に、茅場町天満宮境内とある是なり。毎月六月一日、諸人の参詣あり。
神楽殿。
本社の後、桂馬稲荷社の側にあり。
境内に草津亭及彌生軒と稱する料理店あり。又、宮松亭とよべる義太夫、講談席あり、府内第一の席亭たり。其他大弓場、待合茶屋もあるなり。(東京名所図会より)


日枝神社日本橋摂社の周辺図


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