将門塚|千代田区大手町の名所旧跡

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将門塚|飛来していた平将門の首が落ちた地

将門塚の概要

将門塚は、千代田区大手町にある史跡で、神田明神社の旧地、天慶の乱(~940年)を起こした平将門を祀った地です。平将門が討ち取られ、首級が京都で晒されたものの、東国へ飛び去り武蔵国豊島郡芝崎(当地)へ落ちたといい、その後もしばしば将門の御霊が祟をなすため、徳治二年(1307)時宗二祖真教上人は、将門に蓮阿弥陀佛という法号を追贈し、塚前に板石塔婆を建て、当地にあった日輪寺に供養し、さらに傍の神田明神にその霊を合せ祀ったといいます。

将門塚
将門塚の概要
名称 将門塚
みどころ 史跡
入場時間 -
入場料 -
住所 千代田区大手町1-2
備考 -




将門塚の由緒

将門塚は、天慶の乱(~940年)を起こした平将門を祀った地です。平将門が討ち取られ、首級が京都で晒されたものの、東国へ飛び去り武蔵国豊島郡芝崎(当地)へ落ちたといい、その後もしばしば将門の御霊が祟をなすため、徳治二年(1307)時宗二祖真教上人は、将門に蓮阿弥陀佛という法号を追贈し、塚前に板石塔婆を建て、当地にあった日輪寺に供養し、さらに傍の神田明神にその霊を合せ祀ったといいます。

千代田区教育委員会掲示による将門塚について

将門首塚の碑
昔この辺りを芝崎村といって、神田山日輪寺神田明神の社があり、傍に将門の首塚と称するものがあった、現在塚の跡にある石塔婆は徳治二年(1307)に真教上人が将門の霊を供養したもので、焼損したたびに復刻し現在に至っている。
明治二年(1869)より第二次世界大戦時まで、この地に大蔵省が設置され、大蔵大臣阪谷芳郎は、故跡保存碑を建立し、後人のために史跡保存の要を告示されたのである。(千代田区教育委員会掲示より)

東京都教育委員会掲示による将門塚について

都旧跡将門塚
平安時代、天慶の乱(~940年)の中心人物、平将門にまつわる著名な伝説地。
通称将門塚は関東大震災後に崩され現存しないが、塚の元に将門の墓と称されてきた石灯籠は現地に保存されている。
嘉元年間(1303-05)遊行二代他阿真教上人が将門の霊を回向し、神田明神に配祀したと伝えられており、この地は神田明神の旧地であった。
故跡保存碑は明治三十九年五月建立されたもので裏面の阪谷芳郎になる碑文は将門塚の由来を記している。(東京都教育委員会掲示より)

神田明神掲示による将門塚について

将門塚
神田明神のご祭神である東国の英雄・平将門公の御首(みしるし)をお祀りしております。平将門公は、承平天慶年間(931-946)に活躍され、武士の先駆けとして関東地方の政治改革を行ないました。弱気を助け強きを挫くその性格から民衆より篤い信望を受けました。またこの地は神田明神創建の地でもあります。毎年9月彼岸の日には「将軍塚例祭」が執り行われ、また5月の神田祭の時には必ず鳳輦・神輿が渡御して神事が行われる重要な場所です。将門塚保存会神輿も神田祭の時に同保存会の方々により担がれます。現在、同保存会により大切に維持・神事が行われております。(江戸総鎮守神田明神より)

史蹟将門塚保存会掲示による将門塚について

今を去ること壱千五拾有余年の昔、桓武天皇五代の皇胤鎮守府将軍平良将の子将門は、下総国に兵を起し忽ちにして坂東八ヵ国を平定、自ら平新皇と称して政治の革新を図ったが、平貞盛と藤原秀郷の奇襲をうけ馬上陣頭に戦って憤死した。享年三十八歳であった。世にこれを天慶の乱という。
将門の首級は京都に送られ、獄門にかけられたが、三日後白光を放って東方に飛び去り、武蔵国豊島郡芝崎に落ちた。大地は鳴動し太陽も光を失って暗夜のようになったという。村人は恐怖して塚を築いて埋葬した。これ即ちこの場所であり、将門の首塚と語り伝えられている。
その後もしばしば将門の御霊が祟をなすため徳治二年時宗二祖真教上人は、将門の蓮阿弥陀佛という法号を追贈し、塚前に板石塔婆を建て、日輪寺に供養し、さらに傍の神田明神にその霊を合せ祀ったので漸く将門の霊魂も鎮まりこの地の守護神になったという。
天慶の乱の頃は平安期の中期に当り、京都では藤原氏が政権をほしいままにして我世の春を謳歌していたが、遠い坂東では国々の司が私欲に汲々として善政を忘れ、下僚は収奪に民の骨血をしぼり、加えて洪水や干ばつが相続き、人民は食なく衣なく、その窮状は言語に絶するものがあった。その為、これらの力の弱い多くの人々が、将門によせた期待と同情とは極めて大きなものがあったので、今もって関東地方には数多くの伝説と将門を祀る神社がある。
このことは将門が歴史上朝敵と呼ばれながら、実は郷土の勇士であったことを証明しているものである。また天慶の乱は武士の台頭の烽火であると共に、弱きを助け悪を挫く江戸っ子の気風となって、その影響するところは社会的にも極めて大きい。茲にその由来を塚前に記す。(史蹟将門塚保存会掲示より)


将門塚の周辺図