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幸徳稲荷神社|千代田区神田小川町の神社

幸徳稲荷神社の概要

幸徳稲荷神社は、江戸時代山城国城主稲葉丹後之守(三代将軍徳川家光の乳母 春日の局の後裔)の江戸小石川中屋敷に祀られ、鍛冶屋稲荷と称したといいます。明治維新後に小川町の守護として建立、戦後も当地崇敬者により運営されています。

幸徳稲荷神社
幸徳稲荷神社の概要
社号 幸徳稲荷神社
祭神 宇迦之御魂神
相殿 -
境内社 -
住所 千代田区神田小川町2-14-14
祭日 -
備考 幸徳会館を小川町所縁の人に開放



幸徳稲荷神社の由緒

幸徳稲荷神社は、江戸時代山城国城主稲葉丹後之守(三代将軍徳川家光の乳母 春日の局の後裔)の江戸小石川中屋敷に祀られ、鍛冶屋稲荷と称したといいます。明治維新後に小川町の守護として建立、戦後も当地崇敬者により運営されています。

境内掲示による幸徳稲荷神社の由緒

当稲荷神社は旧幕時代、山城の国淀の城主(現在京都府伏見区淀町-十万二千石)稲葉丹後之守(三代将軍徳川家光の乳母 春日の局の後裔)の江戸小石川中屋敷に祀られてあったもので、当時は鍛冶屋稲荷と称し代々五穀豊穣武運長久を祈願された由緒ある社と伝えられています。
明治維新後は、この地に商家町人移り住み、町の名も小川町1番地を守り町内の守護神として伏見稲荷神社より霊を勧進し、近隣氏子有志によって新しく社殿を建立、毎年5月14日15日の両日修祓式を行い、神楽を奏し祭典を施行して参りました。
昭和21年小川町北部町会が解散され、現在の四つの町会に分離した時、古老総代は神社の廃絶を吝み相計り、幸徳稲荷神社奉信会を結成(氏子五百世帯)町会相互の連絡、親睦と一層崇敬を深めつつ現在に至って居ります。
特に大東亜戦争にも社殿は戦災をまぬがれ、戦後の町の復興再建に或は町会発足の基となって、私たちを勇気づけ、励まして今日に至って居ります。
此度宗教法人となりましたのを機会に、社殿並に社務所を新築し子孫の守り神として存続するものであります。(境内掲示より)

東京名所図会による幸徳稲荷神社の由緒

鍛冶屋稲荷社は。小川町一番地にあり、舊稲葉美濃守屋敷内に勧請せられたる鎮守の稲荷社なるが、維新後に及ひて、同邸には引払はれ、三田へ移轉したるが、稲荷社のみは、此地に残留りと。社頭石の鳥居あり、左柱に文化四丁卯年二月初午右柱に慶應三卯年二月再建の銘あり。又元禄十四年奉納の石盥水盤あり。土を盛りて一段高き處に小祠あり、喜連格子の内、神鏡一面、幣束の風にゆらぎて、神躰は厨子の内にあり。毎年四月九日十日の兩日祭典を執行せり、昔は豊玉稲荷般若院の社僧を聘し、祭典を營みしといふ。嘗て辻村清平と稱する刀劔鍛冶師ありて、名刀一口を奉納したりと、其子孫連綿たりしが、今はいかがなりしや、又年々例祭を執行ひ甚だ賑はへりと。(東京名所図会より)


幸徳稲荷神社の周辺図


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