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無量寺|習志野市実籾にある真言宗豊山派寺院、習志野七福神の寿老人

無量寺の概要

習志野市実籾にある真言宗豊山派寺院の無量寺は、西中山宗光院と号します。無量寺の創建年代等は不詳ながら、当初小字東堀込にあり、武石氏の祈願寺だったといいます。天正18年(1590)千某氏滅亡の際に罹災し衰微したももの、慶長19年(1614)に東金御成街道を作るとき、村民鶴田重右衛門が当地に移して再興したといいます。習志野七福神の寿老人です。

無量寺
無量寺の概要
山号 西中山
院号 宗光院
寺号 無量寺
住所 習志野市実籾2-13-1
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 -
備考 -



無量寺の縁起

無量寺の創建年代等は不詳ながら、当初小字東堀込にあり、武石氏の祈願寺だったといいます。天正18年(1590)千某氏滅亡の際に罹災し衰微したももの、慶長19年(1614)に東金御成街道を作るとき、村民鶴田重右衛門が当地に移して再興したといいます。

「習志野市史」による無量寺の縁起

無量寺
井野村の千手院を本寺とするグループの寺院は実籾村の無量寺と観音寺(註:観音寺は廃寺)である。その一つ無量寺は聖徳太子作といわれる阿弥陀如来を本尊とし、西中山宗光院無量寺と号している。明治初期の本堂の規模は間口七間三尺・奥行六間。古くは日蓮宗に属した尼寺で、千葉一族の武石氏の祈願寺にして、その場所も小字東堀込の付近であったと伝えられる。天正一八年(一五九〇)千某氏滅亡のとき戦火にあって衰微したが、慶長一九年(一六一四)に東金御成街道を作るとき、鶴田重右衛門なる村人が小字新道に移し再興したという。一二世紀の作とみられる本尊の木造阿弥陀如来像も、このとき重右衛門から寄進されたものではないかといわれている。日蓬宗から新義真言宗に変わった年代は定かではない。安永七年(一七七八)には西村和泉守藤原政時鋳造の梵鐘が造られたが、これは昭和一七年(一九四二)に供出され現存しない。享和元年(一八〇一)になると不動堂が建立されるなどして、境内の整備はさらに進んだが、二二代泰澄のときに火災に遭い、本堂が焼失した。その後、天保一四年(一八四三)になって本堂が再建された。(「習志野市史」より)


無量寺の周辺図


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