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八劔八幡神社|木更津市富士見の神社

八劔八幡神社の概要

八劔八幡神社は、木更津市富士見にある神社です。八劔八幡神社は、日本武尊東征の際、身を投じて荒れ海を鎮めようとした弟橘姫を祀るために創建、中世に入り八幡神を合祀して八劔八幡宮と号したといいます。天正19年(1591)には徳川家康より社領3石の御朱印状を拝領、明治4年郷社に列格したといいます。

八劔八幡神社
八劔八幡神社の概要
社号 八劔八幡神社
祭神 誉田別尊・足仲彦尊・息長帯姫尊
相殿 素盞嗚尊・日本武尊
末社 三社神社、祖霊社
例祭日 -
住所 木更津市富士見1-6-15
備考 旧郷社



八劔八幡神社の由緒

八劔八幡神社は、日本武尊東征の際、身を投じて荒れ海を鎮めようとした弟橘姫を祀るために創建、中世に入り八幡神を合祀して八劔八幡宮と号したといいます。天正19年(1591)には徳川家康より社領3石の御朱印状を拝領、明治4年郷社に列格したといいます。

「稿本千葉県誌」による八劔八幡神社の由緒

(郷社)八劔八幡神社
君津郡(舊望陀郡)木更津町大字木更津字八幡町に在り、境内六百七十五坪、祭神は誉田別尊・足仲彦尊・息長帯姫尊にして相殿に素盞嗚尊・日本武尊を合祀す。社傳に云ふ、もと八釼神と称し單に素盞嗚尊を祀る、故に此の地を八剱里と称せり、日本武尊東征の時亡妃橘姫を懐ひて歌を賦し此の地に淹留して去り給ふこと能はず、故に後人尊をも合祀す、中世に至りて誉田別尊以下三神を合祀し改めて八釼八幡宮と号すと。天正十九年十一月徳川家康社領三石を寄附す、明治四年七月郷社に列せらる、神寶に古銅鳥一隻を蔵す、傳へて徳川家康の納むる所と爲す、境内末社十座あり。明治三十九年十二月月幣饌料供進指定。(「稿本千葉県誌」より)


八劔八幡神社所蔵の文化財

  • 八剱八幡神社の格天井装飾画(木更津市指定文化財)
  • 五大力船絵馬(木更津市指定文化財)
  • 嶺田楓江寿碑
  • 源頼朝「お手植えの蘇鉄」

八剱八幡神社の格天井装飾画

拝殿格天井を飾る一六二画の装飾画は、狩野派の技法が忠実に駆使され、風景・花鳥・動物などが多く描かれています。なかには狩野派の粉本にのこる題材もみられます。
八剱八幡神社の再建は安永二年(一七七三)と伝えられるので、この装飾画の製作年代もその頃と推定されます。(木更津市教育委員会掲示より)

五大力船絵馬

五大力船絵馬は、江戸時代から明治時代にかけて木更津・江戸間の輸送を行った船であり、一般に木更津船とも呼ばれました。
その成立は、「大阪の陣」で戦死した木更津村の水夫の戦功と遺族救済のために、幕府から江戸湾における南総の物資輸送の特権を与えられたことによると伝えられます。
絵馬の意匠は、一般に海難救助図と呼ばれ、海上の安全を願ったものですが、そこには郷土で成立した五大力船の姿が写実的に描かれています。
大きさは縦五一・八cm、横八五・四cmで、明治時代初期のものと思われます。(木更津市教育委員会掲示より)

嶺田楓江寿碑

嶺田楓江は江戸時代後期の文化一四年(一八一七)に江戸に生まれ、儒学や蘭学を学び各地を視察しました。天保一四年(一八四三)北海道をまわり、幕府に屯田制や北方警備の必要性を訴えました。また、嘉永二年(一八四九)アヘン戦争の実情をくわしく調べ、木版絵画を挿入した。「海外新話」を刊行しましたが、治安を乱したとして入獄の身となり、その後江戸から追放され請西村に移り住みました。安政元年(一八五四)ペリー来航に祭し、江戸に上って幕府に進言しましたが、再び木更津に戻り、地元子弟の教育に専念し、明治維新後の木更津地方の教育史上重要な存在となりました。明治一四年(一八八一)楓江の長寿とその業績を讃え、英国領事館コラウブスが題字を、重城保が文を撰し、清国の劉世安が書いた寿碑が建立されました。(木更津市教育委員会掲示より)

源頼朝「お手植えの蘇鉄」

この蘇鉄は大正十五年五月に当時の(株)木更津銀行頭取露崎銀平氏が森家から譲り受け、奉納されたものである。
森家は屋号を「相駒」と言い、君津市草牛の山中に在り、その山道を馬に乗り鹿野山まで登る人、又は下って来た人もこの家の前で休憩し馬同士が顔を合わせる所から、この場所を「相駒」というようになった。
頼朝も、ここで兵馬の疲れを癒し、北上する際に森家にお礼として蘇鉄を植えたといわれる。
また頼朝と当社八劔八幡神社との関わりは深く、鎌倉幕府を創始した頼朝は保元・平治の乱で大敗した源家再興の為、治承四年(一一八〇年)八月安房国平北郡猟島(現在の鋸南町竜島)に渡り房総で兵を募った。
時の豪族千葉常胤・上総介広常の協力を仰ぎ、次々と関東の諸豪族を配下に収め平家討伐の根拠地とした。
頼朝は、ここ木更津を通過の折り、当社に戦勝祈願に訪れ、その後神領を奉納したと伝えられる。
この事蹟を知る露崎氏が代々大切に育ててきた森家の蘇鉄を譲り受け当社に奉納した。
現在では立派な大樹となり「お手植えの蘇鉄」として多くの人に知られている。(境内掲示より)

八劔八幡神社の周辺図

参考資料



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