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亀井院|市川市真間にある日蓮宗寺院

亀井院の概要

市川市真間にある日蓮宗寺院の亀井院は真間山弘法寺11世日立上人が寛永12年(1635)瓶井坊と号して建立、その後元禄9年(1696)よりしばらく鈴木院と呼ばれていたといいます。当院境内にはかつて池があり、万葉集で詠まれている「手児奈が水を汲んだという真間の井戸」が当地に比定され、また北原白秋が大正5年に当院に寄宿していたといいます。

亀井院
亀井院の概要
山号 -
院号 亀井院
寺号 -
住所 市川市真間4-4-9
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 -



亀井院の縁起

亀井院は、真間山弘法寺11世日立上人が寛永12年(1635)瓶井坊と号して建立、その後元禄9年(1696)よりしばらく鈴木院と呼ばれていたといいます。当院境内にはかつて池があり、万葉集で詠まれている「手児奈が水を汲んだという真間の井戸」が当地に比定され、また北原白秋が大正5年に当院に寄宿していたといいます。

市川市教育委員会掲示による亀井院の縁起

真間之井と亀井院
万葉の歌人高橋虫麻呂は、手児奈が真間の井で水を汲んだという伝承を聞いて
勝鹿の真間の井を見れば立ち平し 水汲ましけむ手児奈し思ほゆ
(葛飾の真間の井を見ると、いつもここに立って水をくんだという手児奈が偲ばれる。)の歌を残した。この真間の井は亀井院にある井戸がそれであると伝えられている。
亀井院は寛永十二年(一六三五)真間山弘法寺の十一世日立上人が弘法寺貫主の隠居寺として建立したもので、当初「瓶井坊」と称された。瓶井とは湧き水がちょうど瓶に水を湛えたように満ちていたところから付けられたものである。
その後、元禄九年(一六九六)の春、鈴木長頼は亡父長常を瓶井坊に葬り、その菩提を弔うため坊を修復したのである。以来瓶井坊は鈴木院とよばれるようになった。
長頼は当時弘法寺の十七世日貞上人と図り万葉集に歌われた「真間の井」、「真間の娘子(手児奈)の墓」、「継橋」の所在を後世に継承するため、それぞれの地に銘文を刻んだ碑を建てた。本寺の入口にあるのがその時の真間之井の碑である。
長頼没後、鈴木家は衰え鈴木院の名称も、また亀井坊と改められた。これは井のそばに霊亀が現れたからといわれている。
北原白秋が亀井院で生活したのは、大正五年五月中旬からひと月半にわたってのことである。それは彼の生涯で最も生活の困窮した時代であった。
「米櫃に米の幽かに音するは 白玉のごと果敢かりけり」
この歌は当時の生活を如実に表現している。こうした中にあって真間の井に関しては次の一首を残している。
「落の葉に亀井の水のあふるれば 蛙啼くなりかつしかの真間」
その後、江戸川を渡った小岩の川べりに建つ、離れを借りて暮したが、これを紫烟草舎とよんでいる。(市川市教育委員会掲示より)


亀井院の周辺図


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