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徳願寺|市川市本行徳にある浄土宗寺院

徳願寺の概要

市川市本行徳にある浄土宗寺院の徳願寺は、海巌山と号します。徳願寺は、もと普光院とよぶ草庵を起源とし、慶長十五年(1610)德川家康の帰依により、徳川の徳と勝願寺の願をとって、改めて徳願寺として、円誉不残上人を開山に迎えて創建したといいます。二代将軍秀忠夫人(崇源院)が亡き後、阿弥陀如来像を下賜され、供養料として慶安元年(1648)10石の御朱印状を拝領したといいます。行徳・浦安観音霊場三十三ヵ所初番札所です。

徳願寺
徳願寺の概要
山号 海巌山
院号 -
寺号 徳願寺
本尊 阿弥陀如来像
住所 市川市本行徳5-22
宗派 浄土宗
葬儀・墓地 徳願寺会館を解放
備考 行徳・浦安観音霊場三十三ヵ所初番



徳願寺の縁起

徳願寺は、もと普光院とよぶ草庵を起源とし、慶長十五年(1610)德川家康の帰依により、徳川の徳と勝願寺の願をとって、改めて徳願寺として、円誉不残上人を開山に迎えて創建したといいます。二代将軍秀忠夫人(崇源院)が亡き後、阿弥陀如来像を下賜され、供養料として慶安元年(1648)10石の御朱印状を拝領したといいます。

「稿本千葉県誌」による徳願寺の縁起

海巌山徳願寺
同郡(東葛飾郡)同上(南行徳村)行徳町字寺町に在り、境内千八百八十七坪、浄土宗にして鴻巣勝願寺の末派なり。寺傳に云ふ、慶長五年僧圓誉開基す、本尊阿弥陀如来はもと源頼朝の室政子の運慶に命じて彫刻せしめたるものにて、元和中徳川秀忠の室崇源院之を得て江戸城三の丸に安置せり。崇源院歿して後本寺に移すと。慶安元年九月徳川家日価値供養料として十石の地を寄す。安政三年三月火災に罹り山門・鐘楼を除く外悉肯焼失し、同年五月再建せり。(「稿本千葉県誌」より)

市川市教育委員会掲示による徳願寺の縁起

徳願寺はもと普光院とよぶ草庵で、浄土宗勝願寺の末寺であった。慶長十五年(1610)德川家康の帰依により、新たに堂宇が建立され、徳川の徳と勝願寺の願をとって、改めて「徳願寺」の名がつけられ、円誉不残上人を開山に開創されたものである。
本尊阿弥陀如来像は、かつて源頼朝の室政子が、仏師運慶に命じて彫刻させたものといわれ、徳川家康が二代将軍秀忠夫人のため、鎌倉から江戸城に遷したが、夫人の逝去後、当山二世忠残上人が請けて本尊としたものである。そして、三代将軍家光からは本尊供養料として、慶安元年(1648)朱印十石が与えられた。
本堂は安政三年(1856)火災により焼失、大正五年(1916)に再建されたが、山門と鐘楼は共に安永四年(1775)の建築で、本寺最古の建造物である。山門に安置する二王像等の彫刻物は、明治維新のさい葛飾八幡宮の別当寺であった法漸寺から移されたものである。他に輪堂式経蔵や身代観音堂があり、本堂には湛慶作と伝える閻魔大王像が安置されている。
また、本寺には文化四年(1807)江戸深川の永代橋墜落による溺死者の供養塔や、宮本武蔵供養のための石地蔵をはじめ、武蔵筆と伝える書画、円山応挙筆と伝える幽霊の絵などが寺宝として保管されている。
明治四年(1871)十二月、印旛建長が一時本寺に置かれたことがあり、更に明治六年(1873)行徳小学校が、本寺を仮校舎として誕生している。(市川市教育委員会掲示より)


徳願寺の周辺図


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