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千葉神社|千葉市中央区院内の神社

千葉神社の概要

千葉神社は、千葉市中央区院内にある神社です。千葉神社の創建年代等は不詳ながら、千葉氏の祖平良文が妙見(北辰)を篤く崇拝していたことから千葉氏も妙見を崇拝、当地には千葉家三代忠常が勧請したと伝えられ、忠常の次男、覚算大僧正により伽藍整備、長保2年(1000年)、北斗山金剛授寺と号して中興開山したといいます。天正19年社領200石の御朱印状を拝領、明治元年千葉神社と改称、明治7年県社に列格していました。

千葉神社
千葉神社の概要
社号 千葉神社
祭神 北辰妙見尊星王(天之御中主大神)
相殿 経津主命、日本武尊命
末社 千葉天神、姥神、星神、石神、稲荷、金ぴら、えびす、弁天、八幡、天神、日枝、三峯、神明、御嶽
住所 千葉市中央区院内1-16-1
備考 旧県社



千葉神社の由緒

千葉神社の創建年代等は不詳ながら、千葉氏の祖平良文が妙見(北辰)を篤く崇拝していたことから千葉氏も妙見を崇拝、当地には千葉家三代忠常が勧請したと伝えられ、忠常の次男、覚算大僧正により伽藍整備、長保2年(1000年)、北斗山金剛授寺と号して中興開山したといいます。天正19年社領200石の御朱印状を拝領、明治元年千葉神社と改称、明治7年県社に列格していました。

「稿本千葉県誌」による千葉神社の由緒

千葉神社
千葉郡千葉町大字千葉字院内に在り、境内二千六百三十一坪、祭神は天御中主命、相殿に経津主命・日本武尊を合祀す。社傳に云ふ、長保二年九月下総介平忠常之を創建し治承四年源頼朝祭祀料として土地若干、白幡一旒を納む、天正十九年徳川家康神田二百石を寄附すと。元妙見社と称し千葉氏六妙見の一にして舊寒川・邊田・貝塚三村の鎮守たりしが、明治元年別当妙見寺を廃し社号を改め單に千葉町の鎮守とす。同七年縣社に列せらる、祭日は毎年八月十六日乃至同二十二日とす、末社十三座あり、社宇壮麗・鼓楼・随身門等ありしが明治三十七年一月社殿焼失し、大正三年八月新築漸く成れり。明治三十九年十二月幣饌料供進指定。(「稿本千葉県誌」より)

「下総国旧事考」による千葉神社の由緒

妙見社
在千葉町。未知為何神。妙見俗称北辰。按続日本紀。延暦十五年。禁京畿吏民男女混雑濫称北辰。拠此俗祭北辰之称。其来久矣。
或書云。星佛之説。於唐僧一行起。羅土水金日火計月木之九星是也。
相傳平良文影祀上野国群馬郡妙見社。続日本紀云。霊亀八年。八月己丑。上野国群馬郡五十烟。美作国勝田郡五十烟捨妙見寺。
上野国志云。妙見社。在群馬郡疋間村。別当妙見寺。
祭日自七月十六日至廿二日。
当日扮船二隻。一曰千葉船。一曰結城船。盪之寒川陌上為例。
千葉集云。千葉祭。大治二年。平常重創之。結城祭。天福元年平持胤創之而未詳其来由。
別当金剛授寺。又称妙見寺。号北斗山尊光院。新義真言宗。隷京師報應院。
祀官二名。共粟飯原氏。社領二百石。天正十九年辛卯十一月付。
校者曰今千葉神社ト称し県社に班ス。(「下総国旧事考」より)


千葉神社所蔵の文化財

  • 千葉神社(千葉市指定記念物)

千葉神社の周辺図