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白泉寺|我孫子市岡発戸にある曹洞宗寺院

白泉寺の概要

我孫子市岡発戸にある曹洞宗寺院の白泉寺は、万岳山と号します。白泉寺は、正泉寺七世竹巌宗嫩が開山となり慶長15年(1610)に創建、岡発戸八幡神社の別当寺だったといいます。新四国相馬霊場八十八ヶ所72番です。

白泉寺
白泉寺の概要
山号 万岳山
院号 -
寺号 白泉寺
住所 我孫子市岡発戸541
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



白泉寺の縁起

白泉寺は、正泉寺七世竹巌宗嫩が開山となり慶長15年(1610)に創建、岡発戸八幡神社の別当寺だったといいます。

「我孫子市史」による白泉寺の縁起

白泉寺 岡発戸五四一
山号 万岳山
曹洞宗 もと正泉寺
創立は慶長十五年(一六一〇)、開山は正泉寺第七世の竹巌宗嫩である。
当寺は、境内を接する岡発戸八幡神社の別当寺であった。
神社の境内には、待道大権現社があって、玉垣に安永四年(一七七五)の刻銘をみるが、白泉寺はこの地方を中心として、女人たちを対象とする待道講の普及につとめてきた。
相馬霊場の設立にあたり、当寺は第二十二番阿波平等寺移しとなり、本尊釈迦如来とされたが、今その像はないようである。札所の石標に安永七年とあるのをみると、当初は正泉寺が当霊場をあわせ管理していたものかと思われる。
明治初年に無住となったが、正泉寺が兼務し、集落の人びとによって護持されてきた。明治の「寺院明細帳」には、「本堂間数間口八間 奥行五間」とあり、大師堂は、「建物間口五尺 奥行六尺」の及び「間口四尺 奥行五尺」の二宇が記されている。それが、明治二十一年の五月八日付で正泉寺へ合併となり、明細帳から削除されたが、昭和年代に合併を取消して復帰している。その記事についてみると、堂宇は間口五間奥行四間、木造草葺、大師堂二宇はともに木造瓦葺とある。
昭和三十年に建物を改修して岡発戸公民館を設置することになったが、その建物の中の一間を仏間として仏像等が納められた。
仏像は三体ある。まず、木造阿弥陀如来坐像は定印像で、玉眼、水晶の白毫及び瑪瑙の肉髻珠を用い、身部と衣部ともに金彩として唇に朱を点じ、ひげが描いてある。つぎに、木造十一面観音坐像は彫眼で白毫に銅の鋲を打つ。頭上の十一面は刻み出されているが、面部の欠けたものが若干ある。総体を黒色とし、眼と唇などに彩色がほどこされている。
なお、木造薬師如来坐像がある。それは近在の旧薬師堂から当寺に引渡された客仏で、旧堂の木額に「奉納念仏講中、維時昭和三十年三月吉祥」とあり、地元の念仏講中で供養されていた仏像である。像高は二五cm、玉眼、白毫、肉髻珠があり、腹前の定印の掌に薬壺を持っている。
大師堂は、方一間、向拝付、切妻造、瓦葺で、正面の妻の懸魚が渦波模様となっているのは白泉の寺号に因むということであろう。堂の後壁に大正十一年の墨書があって改築年代が知られる。
堂内安置の石造大師像は二体あり、傍に厨子入の瓦造観覚光音禅師像が置いてある。光音像については大正十三年の奉納の墨書木札があるので、各所にみる瓦造光音像のつくられた年代はそのころと推定できる。(「我孫子市史」より)


白泉寺の周辺図

参考資料
  • 我孫子市史
  • 稿本千葉県誌