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妙蓮寺|我孫子市根戸にある日蓮宗寺院

妙蓮寺の概要

我孫子市根戸にある日蓮宗寺院の妙蓮寺は、頂経山と号します。妙蓮寺は、日念聖人が開山となり建武元年(1334)頃に創建したといいます。

妙蓮寺
妙蓮寺の概要
山号 頂経山
院号 -
寺号 妙蓮寺
住所 我孫子市根戸1778
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 -



妙蓮寺の縁起

妙蓮寺は、日念聖人が開山となり建武元年(1334)頃に創建したといいます。

「我孫子市史」による妙蓮寺の縁起

妙蓮寺 根戸一七七八
山号頂経山 日蓮宗 もと真間山弘法寺
開祖は日念聖人で、文政七年(一八二四)の「根戸村明細帳」に「一法花宗、下総国葛飾郡真間村真間山弘法寺末、頂経山妙蓮寺、建武二戌年日念聖人開山」と記されている。ただし、建武二戌年とあるのは誤りで、二年とすれば乙亥であり、戌とすれば建武元年甲戌に当たる。このような疑念はあるが、南北朝期の建武年代に創立されたとしてよいであろう。
歴代については、「霊薄」に書付けた覚書に、開祖日念聖人以下三十四世日隆までが記されており、日隆は「慶応三丁卯年八月江戸牛込高田、感通寺より入院、京都北岩倉実相院宮役僧勤居候」とある。
また「霊薄」の覚書には「往古ヨリ寺分永高弐百六拾五文三分也、田畑山林惣高五石五斗八升弐合、修造金持添田分高五石弐斗六升四合、合拾石八斗四升」とみえるので、相当の経営基盤であったと思われる。
寺地は、北の内で、南方を法花坊と称し、中世の根戸城の土塁と想定される遺跡もあって、相馬氏との関係が深かったと考えられる。しかし、開創以来近世初期に至るまでの事蹟はつまびらかでない。寺蔵の文明十七年(一四八五)銘題目板碑は、この間の一史料であり、我孫子に所在する題目板碑の唯一の遺例でもある。
「霊薄」には、さまざまな覚書が記入されているが、年序が錯綜し、内容にも不明確な点が少なくない。しかし、明暦年代(一六五五-八)の十世日雄(あるいは十二世ともある)以降の事蹟が記されている。それらを拾ってみると、中興日雄が明暦二年(一六五六)に釈迦、多宝二仏造立、延宝七年(一六七九)に村方の火災で類焼、享保十年(一七二五)に十五世日実が客殿建立、ついで十九世日顕が半鍾建立、二十世日量が庫裡建立、二十一世日進が元禄六年(一六九三)に釈迦牟尼仏を再興し、諸道具を購入したこと等をたどることができる。ところが、二十二世日照代には諸道具が紛失し、その後の五カ年余は無住となったという。
ついで、宝暦十三年(一七六三)には「屋根葺替、庫裡造作」があり、安永八年(一七七九)に「本堂再興、仏壇造作(仏師伊藤式部)」をみた。そして、文政七年(一八二四)の「根戸村明細帳」によれば「本尊釈迦如来、外、堂内安置、七面大明神、普賢□(井・菩薩か)、鬼子母神、三十番神、日蓮上人、畑弐反歩除地」とあり、さらに、別の記録によれば、万延元年(一八六〇)には三十番神宮が完成し、礼盤等も調達されて、堂内が大いに整備され、明治年代の清正公堂の改築、昭和年代の本堂修築をへて今日に至っている。(「我孫子市史」より)


妙蓮寺所蔵の文化財

  • 仁阿弥道八作「陶製仁王像」(我孫子市指定文化財)

仁阿弥道八作「陶製仁王像」

陶製仁王像は、阿形像・吽形像の二躰です。
像の高さは阿形像が三十・五cm、吽形像が三十一cmです。
両像は手びねりによりつくられており造形は力動感にあふれ、仁王のいかめしい姿が巧みに表現された作品です。顔の表情も仁王らしくいかめしいなかにも柔和な表情をみせており、江戸末期の名工「仁阿弥道八」の作を窺わせます。
両像とも背面の裾に(一七八三・天明三年〜一八五五・安政二年)は京都の陶工高橋家の二代目で、伝世している作品の多くは茶の湯道具ですが、彫塑作品も多数みられます。道八の巧妙な作陶技術から生み出された彫塑作品のなかには、寿老人などの置物、狸や猫などをかたどった手焙から根付などの小品まで表現豊かな作品が数多くあります。また彫塑作品の場合、立体感を出すためか他の作品とは胎土をかえており、焼成温度も低く抑えているようです。道八は初代から続いた粟田口窯を代を継いで七年後の一八一一年(文化八年)五条城に移し還暦のとき三代道八に家督を譲って隠居し、伏見に桃山窯を開き作陶を続けています。仁阿弥の号については、一八二五年に仁和寺から法橋に叙せられて「仁」の字を、また醍醐寺三宝院から「阿弥」の称を賜わったと伝えられています。(妙蓮寺・我孫子市教育委員会掲示(「我孫子市史」より)

妙蓮寺の周辺図

参考資料
  • 我孫子市史