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中里薬師堂|我孫子市中里にある真言宗豊山派寺院

中里薬師堂の概要

我孫子市中里にある真言宗豊山派寺院の中里薬師堂は、旧宝蔵院の薬師堂です。中里薬師堂の創建年代は不詳ながら、当地は龍泉寺の旧地だといい、天文年間(1532~55)龍泉寺が中峠へ移転、中里村が中峠村から分村した際、当地に宝蔵院及び薬師堂が建立したのではないかといいます。明治維新後宝蔵院は廃寺となったものの、薬師堂は残されたといいます。薬師堂

薬師堂の概要
山号 -
院号 宝蔵院
寺号 -
住所 我孫子市中里238
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 -
備考 -



中里薬師堂の縁起

中里薬師堂の創建年代は不詳ながら、当地は龍泉寺の旧地だといい、天文年間(1532~55)龍泉寺が中峠へ移転、中里村が中峠村から分村した際、当地に宝蔵院及び薬師堂が建立したのではないかといいます。明治維新後宝蔵院は廃寺となったものの、薬師堂は残されたといいます。

「我孫子市史」による中里薬師堂の縁起

薬師堂(中里二三八)
旧宝蔵院境内に建立された仏堂であるが、創建年代は明らかでない。宝蔵院は衰退したが、薬師堂は信仰によって維持され、もと堂の長押に打ちつけてあった板に「諏訪神社、薬師堂、宝蔵院」を昭和三十年に修繕したことが記されていた。それによれば、薬師堂は宝蔵院とは別の独立の仏堂とされていたことが分る。
旧薬師堂には、ところどころに旧材がのこされていたが、昭和六十一年八月四日の暴風後倒壊のおそれが生じたので改築された。規模構造は、三間三間、宝形造、向拝付、銅板葺で、ほぼ旧堂に準じている。
堂の内部は、板敷で、奥に仏壇を構え、その中央に薬師三尊を新調の厨子に納めて安置し、左右に十二神将を配置する。
中尊薬師は、木造彩色の立像で、玉眼を嵌めている。そして右手の親指と薬指を捻じている。像高は五一cmで、二重蓮華座と舟形の光背を備え、光背の頂点までの総高は八五cmである。彩色は、肉身部金色、衣部群青で袖裏を朱色とし、唇にも朱がさしてある。
両脇侍の日光、月光両菩薩像は玉眼、朱唇、金彩で、それぞれに日象及び月象のついた長柄を持っている。像高はともに三六.五cmである。
十二神将は、薬師如来の守護神である。尊名は、宮毘羅、伐折羅などで、もともとは十二支に関係はないのであるが、十二体を十二支に宛て、頭上に十二支の動物像をつけて、人それぞれの生れ年による信仰が寄せられるようになったのである。この堂内の十二神将像にも、それぞれに十二支の動物がついていて、左上段から子丑寅と順序よく配置されている。いずれも木造彩色像で、損傷してはいるが、十二体が揃って保存され伝承されてきていることは貴い。
堂内一隅に、厨子入の大日如来像が安置されている。木造、金彩で、冠を頂き、胸飾りをつけ、智拳印を結ぶ。この像は、もと宝蔵院の本尊であった。
その他の什物では、かつて雨乞に用いられた獅子頭の残欠、土製絵馬などが保存されている。絵馬は、瓦製の珍品で、米俵と鼠に向かい「め」の字を浮彫りし、大正四年の奉納の刻銘があり、背面に雲龍図が線刻されている。屋根形絵馬に象り、紐孔があけてある。
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宝蔵院(中里二三八)
真言宗豊山派 もと龍泉寺
旧中里村字東原は中峠龍泉寺の故地で、ここから龍泉寺が中峠芝原へ移転したのは天文年間(一五三二~五五)のことであった。中里の集落では、その後も天文年間(一吾三二~五五)との関係を保っていたが、中里が中峠芝原から分村して独立するに至り、龍泉寺の末寺として宝蔵院を営むことにしたのであろう。ただし、その年代は明確でなく、寺院の山号も忘れさられたようである。
中里の地誌としては、『湖北村誌』に「天正十六年(一五八八)佐竹家水戸を領し、尋で佐竹街道の新設せらるに及び、手賀沼附近、及び利根川沿岸に住居せし人民は、次第に街道附近へ移住し来り、中峠村主要部を組成するに当り、移住せざりし住民は、遂に中里なる分村を形成せるものならん。口碑の伝ふる所によれば古は中里を芝原新田と呼びしと云ふ」と記されている。このような経緯からすれば、宝蔵院が創立されたのは、近世になってからのことのように考えられる。
境内には延宝八年(一六八〇)銘の法印権大僧都祐弁墓碑をはじめとする僧侶の墓碑があって、かつては僧職のものが宝蔵院に止住していたと知られるが、いつの頃からか無住となり、明治初年には廃寺となった。しかし、境内にあった薬師堂は維持され、今に及んでいる。
また、宝蔵院の建物も戦後まで存続していた。それは旧薬師堂の長押に打ちつけた板に「諏訪神社、薬師堂、宝蔵院、修繕(委員十名連記)、昭和参拾年十二月十五日、完成」と書かれていたのによっても明らかである。それが、昭和四十一年になって公民館に改築され、その中の一室に旧宝蔵院の什物を保管することになった。いま、薬師堂の一隅に安置されている大日如来像は当院の本尊であった。
什物には、阿弥陀三尊来迎図三幅、十三仏図一幅、十三仏及び弘法大師図(版摺)一幅などがある。いずれも近代のものであろう。 (「我孫子市史」より)


中里薬師堂所蔵の文化財

中里薬師堂薬師三尊及び十二神将像

中里薬師堂薬師三尊及び十二神将像

薬師三尊像とは、薬師如来と日光菩薩、月光菩薩の三尊をいいます。薬師如来は衆生を救うための十二の大願を立てて仏陀となりました。日光、月光菩薩は薬師如来を補佐する役割です。十二神将は薬師如来の十二の大願に対応して、薬師如来を信じる人々を守護するとされています。また十二神将は、薬師如来の分身とされたり、薬師如来の眷属と位置つけられたりして、後になると昼夜十二の時、十二の日、十二の月を司ると考えられ、十二支と結びつくようになりました。十二の神将の名称、形など一定していませんが、近世には、この中里薬師堂にある十二神将像のように十二支をあて、子神、丑神、寅神、卯神、辰神・・・とされることが多くなります。
我孫子市内では、十二神将像十二体が揃っているところは、ここだけであり、大変に貴重な例です。また、江戸時代半ば過ぎから定型化する十二神将像の形であることから、江戸時代後半に中里新田開発後、中里地区の人々の信仰を集めて制作されたものと考えられます。中里薬師堂のように薬師三尊像と十二神将像がそろって今まで伝来していることは、地域の人々に深く信仰され、管理されてきた証しでもあります。
現在薬師三尊像は厨子の中に秘仏として安置され、年1度の祭礼の時に開扉されています。この薬師三尊像と十二神将像は平成18年3月に我孫子市指定文化財(8号有形文化財)に指定されました。(我孫子市教育委員会掲示より)

中里薬師堂の周辺図

参考資料
  • 我孫子市史


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