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大光寺|我孫子市緑にある真言宗豊山派寺院

大光寺の概要

我孫子市緑にある真言宗豊山派寺院の大光寺は、南海山不動院と号します。大光寺の創建年代等は不詳ながら、本土寺過去帳に「八日大高寺(大光寺)、延徳二(1490)庚戌五月、アビコ」とあり、室町時代には創建していたといいます。小金大勝院を隠居した秀恕法印が、江戸時代中期に法流開基となったといいます。新四国相馬霊場八十八ヶ所42番、また当寺の聖天堂は我孫子の聖天さまと称されるといいます。

大光寺
大光寺の概要
山号 南海山
院号 不動院
寺号 大光寺
住所 我孫子市緑2-3-1
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 -
備考 ひかり幼稚園



大光寺の縁起

大光寺の創建年代等は不詳ながら、本土寺過去帳に「八日大高寺(大光寺)、延徳二(1490)庚戌五月、アビコ」とあり、室町時代には創建していたといいます。小金大勝院を隠居した秀恕法印が、江戸時代中期に法流開基となったといいます。

「我孫子市史」による大光寺の縁起

大光寺 緑二ノ三ノ一
山号院号 南海山不動院 真言宗豊山派
開山、開基不詳であるが「本土寺過去帳」に「八日大高寺、延徳二(一四九〇)庚戌五月、アビコ」とある大高寺は当寺のことで、創建は室町時代にさかのぼることが知られる。
寺では法流開基を秀恕法印とし、相馬霊場の標柱に「第四十二番、安永五丙申年(一七七六)□月吉日、施主惣村中、大光寺第一世法印秀恕、南無遍照金剛、願主観覚光音」と刻んでいる。秀恕は小金大聖院から当寺に閑居し、鍾楼や客殿を建立したが、たまたま文化二年(一八〇五)における我孫子宿の大火で寺は罹災し、秀恕はその年に示寂した。この火災で寺の古記録も焼失したという。そののち本堂の再建はすすまず仮堂のまま推移した。しかし、境内の聖天堂は文化七年(一八一〇)に再建され、我孫子の聖天さまとして喧伝された。
文政十年(一八二七)にも宿に大火があって大光寺の住居が類焼したが、仮堂、鍾楼及び聖天堂は罹災をまぬがれた。その後嘉永四年(一八五一)には高野山から夢告大師像を迎え、ついで安政三年(一八五六)には「大師ノ御衣、御袈裟及び御念珠ノ三品」が授与されて、当寺には四十二番厄除大師として信仰参詣がさかんに行われた。
明治の「寺院明細帳」には「本堂間数間口四間 奥行四間三尺」とあり、大正十三年に「本堂改築庫裡増築」の追記があって、本堂は間口六間奥行七間半、庫裡は間口七間五尺奥行四間半となっている。
現本堂は昭和二十二年の改築で、入母屋造、向拝付、背面に仏壇部分が張り出している。向拝の木鼻の獅子に「取手宿穀屋嘉兵衛治」「高野山村鈴木藤兵衛」の刻銘があるのは、おそらく旧堂のものの再用であろう。
内部は六室構造で、仏間には、仏壇の前に須弥壇、前机を置き、大壇が据えてある。須弥壇は禅宗様式で、高欄をめぐらし、高欄の新柱に花弁の垂さがった伏蓮弁形の擬宝珠を飾る。また、大壇は花形壇で、中央に五重塔を安置し、各種の法具が配置されている。
本尊不動明王は、仏壇中央の厨子に安置する。像は文化年間に一部焼損したが昭和十年に修補された。木造彩色の坐像である。その両脇の弘法・興教両大師像は玉眼の彩色像で、昭和五年に修復され、各々厨子に納められている。
夢告大師像は、須弥壇の中央にあり、高野山北室院にあった尊像を嘉永四年(一八五一)当寺に奉遷したもので、厨子の背面に「昭和五年三月修復、南海講、大光寺現住越智信海代、発起人武藤吉五郎、仝小熊りう、仏師取手町福田運章」の朱漆銘がある。(「我孫子市史」より)


大光寺の周辺図

参考資料
  • 我孫子市史