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最勝院|我孫子市高野山にある真言宗豊山派寺院

最勝院の概要

我孫子市高野山にある真言宗豊山派寺院の最勝院は、興旭山と号します。最勝院は、天正20年(1592)に創建したと伝えられ、寛保元年(1741)祐意和尚が開祖となり中興開山したといいます。

最勝院
最勝院の概要
山号 興旭山
院号 最勝院
寺号 -
住所 我孫子市高野山554
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 -
備考 -



最勝院の縁起

最勝院は、天正20年(1592)に創建したと伝えられ、寛保元年(1741)祐意和尚が開祖となり中興開山したといいます。

「我孫子市史」による最勝院の縁起

寺は成田街道沿いにある。明治の「寺院明細帳」には、「当院ハ天正廿辰年(一五九二)創立ノ由古老ノ伝説有之、其后寛保元辛酉年(一七四一)十一月十二日開祖祐意和尚再建、其后代々縦灯仕候」と記されている。
境内には寛永八年(一六三一)銘の一石五輪塔があり、貞享元年(一六八四)の高野山香取神社の棟札に「別当西勝院」とあるのほ当最勝院のことで、当時以前から寺院が営まれていたことは確かである。
のち、羅災して無住となった時期があったが、およそ半世紀をへた享保六年(一七ニ一)に農家の旧材を用いて本堂を復興し、焼損していた本尊厨子等も新調したといい伝えられている。明細帳に、開祖祐意和尚再建とあるのはこの当時のことであろう。享保十五年(一七三〇)、同十六年、元文三年(一七三八)の高野山香取神社棟札に「最勝院住法印祐意」「最勝院祐意」「最勝院住大阿闇梨法印祐意」と記されているのは、いずれも中興開山祐意の事蹟である。
天明三年(一七八三)には新末新色衣の許可があり、龍泉寺との本末関係も確立した。
なお、安永五年(一七七六)には、第二十七番土佐神宮寺写し、本尊不動等の霊場札所となり、やがて大師堂もできた。『七番日記』には、文化七年(一八一〇)三月二十七日に一茶がここへ立ち寄ったとき、大師詣りの人びとで賑っていたと記されている。当時は大師堂がまだ新しく、霊場巡拝がさかんであったのであろう。その頃境内にあった三幹の桜樹は昭和四十年ころ枯れた。また、樹令三百年と推定される伽羅の古木があったが、それも枯れた。
明治の「寺院明細帳」には、「本堂間数間口七間奥行五間庫裏間数間口六間奥行三間半」とあり、「大師堂建物間口五尺奥行六尺」の他に、「茶堂建物間口四間奥行弐間」が記されている。その中の茶堂については「慶応二年(一八六六)三月檀家廿三戸建立」とみえるが、今はない。また、本堂とあるのは改築前の旧本堂で、茅葦の建物であった当時の写生画がある。
現本堂は、昭和四十九年に新築された。入母屋造、向拝付、瓦葺の建物である。
本尊は不動明王であるが、別に、木造大日如来坐像(19図)がある。大日像は像高二八・六cmの智拳印像で、衣部は金箔押し、身部は金彩、宝冠や台座などに損傷があるが、古作とみられる。
大師堂は、明治三十七年五月に改築された。入母屋造、向拝付、瓦葺の建物で、棟札に「宇佐見祐道八十四歳、発起世話人小川源蔵、仝荒井平七、高野山大工荒井庄太郎、棟梁我孫子佐藤鷹蔵」と記されている。ここにみる棟梁佐藤鷹蔵は腕のいい大工で、その後もいろいろと活躍した人である。(「我孫子市史」より)


最勝院の周辺図


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参考資料
  • 我孫子市史


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