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新木太子堂|我孫子市新木にある真言宗豊山派寺院

新木太子堂の概要

我孫子市新木にある真言宗豊山派寺院の新木太子堂の創建年代は不詳ながら、石碑や石祠の銘から江戸時代中期には既に祀られていたのではないかといいます。境内の大師堂は、かつて新四国相馬霊場八十八ヶ所の札所となっていたといいます。

太子堂
太子堂の概要
山号 -
院号 -
寺号 -
住所 我孫子市新木3125
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 -
備考 -



新木太子堂の縁起

新木太子堂の創建年代は不詳ながら、石碑や石祠の銘から江戸時代中期には既に祀られていたのではないかといいます。

「我孫子市史」による新木太子堂の縁起

太子堂(新木三一二五)
 創立年代は明らかでない。村の先覚者の篤志によって聖徳太子像が奉祀され、霊像として崇敬されてきたものである。境内に、「新木村施主道無」と記す元禄五年(一六九二)の石碑や「宮之願主、無□了関」とある宝永五年(一七〇八)の道祖神の石祠などがあって、十八世紀にさかのぼるころから堂守がいたと考えられる。また、寮があって、昭和十一年には寮の修築があり、神祖皇大神を奉祀し、仏像や仏具の修理も行われた。しかし、寮はその後罹災して、今はない。
太子堂は、方二間、向拝付、入母屋造、瓦葺、昭和十年の改築で漆喰塗込とした。正面の扉の上の小壁に鏝絵の龍がみられ、それに「岩田内喜三郎」とある。また正面に掲げた額には、裏に「大工田口吉松刀」と刻んである。
堂内は畳敷で、奥の中央一間分を張り出して、そこに聖徳太子の十六歳孝養像が安置してある。太子は父君用明天皇が病気になられたとき、病気の平癒を仏に祈願された。手に柄香炉を持っておられるのはそのときのお姿である。この種の太子像は各所にあり、埼玉県の天洲寺の像は寛元五年(一二四七)の銘のある鎌倉時代の名作として名高い。新木太子堂の像について、聖廟改築記念碑に、像の胎内に仁和三年(八八七)行基作大阪四天王寺の霊像と記されているとあるが、それは四天王寺が聖徳太子ゆかりの古寺であるところから、太子信仰の由緒を古くさかのぼって記したものである。なお、当太子堂には「謹修上官法王技芸発達災禍防止攸」と刻んだお札の版木がある。上宮法王というのは聖徳太子のことであり、太子は諸芸技能に秀れたお方であったところから、江戸時代に職人の信仰がさかんになった。この像もそうした信仰の対象として奉祀されたのであろう。像は、髪を美豆良に結い、法服に袈裟を着け、玉眼で、彩色が美しい。
なお、堂内には、厨子入の木造阿弥陀如来坐像、百万遍用の墨摺六字名号の軸など、旧寮にあったものが移されている。その中に、焼損のあとのある仏像があるのは寮の罹災を物語るものである。
大師堂は、相馬霊場創設当時太子掛所としてつくられたもので、文化四年(一八〇七)の刻銘のある石造大師像が安置されている。大師巡礼の人びとはこの大師堂に立寄り、太子堂の聖徳太子像もありがたく礼拝したのである。 (「我孫子市史」より)


新木太子堂の周辺図

参考資料
  • 我孫子市史


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